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私の髪の毛

今週のお題「卒業」

私の身体はドンドン変わって来ている。この一年ほど、歯科金属が体内に溜まると身体に悪さをすると言われて歯科金属を取り除こうとしている。金属を体外に排出する薬を取り始めて一年ほど経つが私の髪の毛は黒くなり始めて白髪はメッキリと少なくなっている。何年か前に出会った呼吸法の男は私の髪の毛を見てバカにした態度で自分の髪の毛が氣を訓練し始めてから黒くなったと自慢していたが氣功を訓練し始めるとさまざまな分野にその効果が出始める。髪の毛はそのほんの一つで、私の身体は髪の毛以外にも変化をしている。死ぬような病気も二度ほど経験して今に至っているし、一度の病気、二度目の病気も I C U から生きて出て来ている。特に一度目は病院の ICU では他の患者は全員亡くなって、生きて出て来れたのは私だけであった。人生は長い。その呼吸法の男はその当時、元気であったが、今現在はどうなっているかはわからない。ひょっとして病気しているかも知れないし髪の毛が真っ白になっているかも知れない。氣功の妙味は髪の毛のような見た目では無く、崖っプチに立たされた時に分かるのだ。決して髪の毛の黒さだけに止まらない。さまざまな方面に氣功の力は及ぼすのだ。であるからこれから歳を経るごとにどんなことに変化していくのか楽しみでならない。

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人生の中の悪縁の者達

今週のお題「何して遊んだ?」私の武術の縁を通して知り合った人物はいろいろいるが、立派な人物もたくさんいたが、思い出したくも無い輩達とも関わりがあった。所謂、悪縁と言うやつだ。こちらから知り合いたくて知り合った訳ではない。私の不徳の致すところか、本来ならば、私の人生に入り込んで来れるような者達では無く、通りすがりの、誰も認めぬ自称似非の職業を標榜しているが、その実は、内面、心は、カネに飢えたオオカミだった。こと自分の権益、カネのことになると、いっぺんに態度があさましいほど豹変する。己れ自身で招いた問題や出来事結果を私になすりつけて、自分は一つも悪いこと無く、自分だけが正しいと主張する。怖ろしい人間だ。とてもじゃないが、理性をベースに話は出来ない。バカげた程に感情的で、まるで女の腐ったような輩達であった。こんなことを言ったら世の女性に大変失礼ではあるが、事実なのだ。このような輩は変に自分に自信があって、こと自分の武術的力量にはいっぱしの武術武道家を気取り、それを一方的に信じている。とにかくカネに絡む事になるとカネ儲けの邪魔になった私を恨んで、憎んで、嫉妬して、私を悪人扱いにする。人間性開発の目標とする武術武道の理想とは全く真逆の人間達だ。もちろん、数は少ないが、あまりにひどい人間性に別な意味で印象的だ。それだけのカネへの執念のエネルギーをこの氣功習得に使えば、今より確実に収入の道はあった筈だ。嘘をついて実体と内容の無い事を世間に公表して、その事が朽ち果てていくのをジッと指をくわえて待っているだけの人生だ。一体何を目的にこの氣功に接触して来たのか?答えはひとつしか無い。こんな輩達は楽してカネを手に入れたかっただけなのである。私は私の時間とお金をかけて助けたのであったが、一つとしてまともに実を結ぶ事は無かった。まともに働こうと言う心と努力は無かったのだ。今だにこんな輩と関わらないといけない自分が情け無い。最近、縁は切れたようなのでサバサバしている事は事実だが、いったん、悪縁をもって知り合った者達と手を切ることは時間がかかり、難しくて、面倒くさい。現代に於いては良縁では知り合え無くなっているのであろうか。それも自分の中のエネルギーが呼ぶのである。自分の不徳の氣がそんな輩を呼び込むらしい。大いに気をつけて生きねばならない。

goodness( 善良) と(邪悪)

今回は宇宙の拡大のエネルギーである

暗黒エネルギー、暗黒物質と我々の心の

エネルギーについて述べてみたい。

私が知り合ってキチガイに刃物を与えてしまった精神年齢幼稚園児は今思えば

善良な道場生を騙し、自己の我欲の為にカネを巻き上げて、借金ですら一円の返済も未だになく私の警告に対して何ら反応も無かった。この行為は私の人生経験では邪悪、 evil と言え流。ことば巧みに使いカネが必要だとの催促に何とかしようとした道場生は善良と言える。宇宙の拡大のエネルギー、暗黒エネルギー、暗黒物質は科学者がいくら努力しても見ることは出来ないが、存在するのは分かっている。氣も同じで、見えることはないが存在するのは分かっている。邪悪な人間が善良な人間を騙し利用すればその結果、宇宙のエネルギーと氣は直結しているから、そして宇宙エネルギーは再生と拡大、星を破壊する両方のチカラを持っている。氣を使う者が利己的に我欲の追求を目的にその氣を使えば邪悪破壊のエネルギーと感応して、いずれ破壊のエネルギーになってしまう。善良な道場生は再生と拡大のエネルギーとなり、人生は good になる。病んでいる者への同情や困っている者への支援は必要無いと言う者もいるだろうが  心が純で時には損と分かっていても助けようとする心はいずれは宇宙のエネルギーと感応して  百倍千倍のエネルギーになって善良な者へ戻ってくるのだ。勿論その事を期待してする善良な行為は我欲であるから、その結果を期待して道場に通う道場生の結果は言わずともわかるであろう。師母は邪悪な者は大嫌いであった。私が通氣になる前に先輩道場生に私の事を細かく聞き回っていたそうだ。私は神田吉隆にこの氣功の全てを教えた訳ではない。この神田吉隆が自分で勝手に自己申告していたのだ。これは善良な行為であるか邪悪な行為であろうか。神田吉隆がどの様な結末を迎えるか?いずれ時間が決める事だ。日本人が外国人に利用されるケースは増えている。外国人は利己的でどんな事も政治的に考えて、自分の得しか考えない者はいくらでもいる。しかし、私はそれでも良いのではないかと思う。日本人の心はこうである。おもてなし、親切礼儀など日本人の特質を分かってもらうだけで良い。見返りを求めない心が大事なのだ。日本の心を分かってもらうだけで、外国人は日本に好印象を持つ。お手本になる国は仏教を国是としてその国の文化を誇りに思うあの国だ。幸福度が日本より順位が上だが経済的には貧しいが医療教育は無料化されているらしい。私は日本がそんな国になって欲しい。私が太田氣功道場を開いている大きな理由はその理想である。日本人には自国日本の伝統的な精神や文化を大事にして欲しい。今までもそうであったが、伝統精神文化を日本人全員が持つ事でこの小さな国が世界にその名を轟かせる事が出来るのだ。外国人が真に求めている物は精神文化なのだ。

継続は力なり

今週のお題   継続は力なり

継続は力なりとは言うが、継続にも質がある。特にこの氣功では長い年月をかけて習得せねばならないさまざまなことがある。その時のモチベーションが何であるかが問題になる。私が悪縁をもって知り合った者は氣功習得のモチベーションは、目的は労少なくしてカネを儲けることであったが、私はといえば、私が訓練した武道に失望して見切りをつけて、どのようにしてこんな老齢の女性が触りもせずに軽々と大男を投げ飛ばせるのだろうか?という興味が最初のモチベーションであった。修練を重ねるごとにその興味がこの類い稀な氣功に対する尊敬と愛に変わっていった。私の人生に対する価値観が変わり、この氣功を世に広めよう、特に私が日本人であるので日本の社会に拡めようという使命感が私の心を支配するようになった。カネ、カネ、カネ

と頭の中はそればかりという者はイヤという程見てきた。そんな奴ほど見苦しい生き様で、どこかで頭を打ち、失敗してもっと悪い状況になる場合が多い。特に氣功を修練することはカネ儲けとは相反するようである。私はこの氣功習得の為に家財道具全て売り払い、多くの月謝を払って毎日通ったのである。師母が歳老いていつ亡くなってもおかしくない状況であったので、少しでも多くのものを学びたいという気持ちであった。中国で消えかけていた、そしてアメリカでも消えかかって、そして又、日本でも正統なこの氣功が捻じ曲げられて伝わってきたその時に私がアメリカより帰国して今はやっと正統な内容をもって伝承が続けられているのである。カネは生きていくには大事なものではあるが、伝統文化芸術の継承に必要なものではない。真に必要なことは伝承する者がその文化芸術を  極限にまで愛することではなかろうか。この私がとても愛した、愛しているこの氣功は来年にはハワイやタヒチで講習会を開くような状況になって来ている。日本を飛び出して世界に拡まっていく勢いだ。トコトン修練すれば、世界に通用するレベルまで修練すれば、カネは後から付いてくるものである。そして、人を叩いて、蹴っ飛ばす事が今の社会に実用的か有用で、有益なものであろうか?チャンピオンになったと独り自慢することは社会にどんな意味を持つのであろうか?もっと人間にとって役立てる事を考えた方がより建設的で理想的な道ではなかろうか? 三十年ほどこの氣功を訓練してみて、心のねじれた者を二十五年ほど見て来た、カネの亡者をたくさん見て来た私が近年、思う事である。

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アイヌ語と神道の祝詞

少し前だったが、 NHKアイヌ語の特集を見て感銘を受けたので、ここに紹介したい。言語学者によるとアイヌ語神道祝詞と同じ調子であると言う。昭和の時代にかなりの量のアイヌ語の音声が残されていた。その音声を私が聞いたところ、確かに祝詞のような響きがあって、聴いているうちに何かしら懐かしい思いがあって自然に涙がこぼれるのであった。私の昔の先祖ではないかとの気持ちがいっぱいで氣が昂ぶっていたかも知れない。驚く事に、アイヌの狩猟漁業権を巡る個人間のトラブルは大きく争う事なく、まるで神道祝詞を奏上するように夜通し徹夜で延々と唄うように平和的な話し合いで解決したらしい。明治期に及んで、北海道土人法という悪法が作られて、日本への同化政策が取られた。アイヌは以前のようにサケ漁をすることは出来なくなった。アイヌ語は禁止されて日本語が奨励される、土地は奪われ、若者は軍隊に徴集される。内地の日本人に差別されて、職業は最下層のものばかりである。まるでアメリカのIndianと同じだ。白人が有色人種を差別することは当然といえば当然であるが、日本人が日本人の祖先を差別することは許されない。あってはいけないことだ。どこの国であれ、力ずくで、権謀術数と覇権主義と利己主義で他人を利用し、己れの欲しいものを手に入れる事は許されない。私はこんな奴らを日本人とは認めない。告発の動画でも言ったが、タヒチのノライヌの方が礼節をわきまえている。犬畜生以下の行為をして、逃げ回っている。アメリカにいた時には、そんな奴は徹底的に抵抗して、やっつけてやったこともあったが、日本にこんな恥な奴がいようとは思っても見なかった。私が日本にいない時にウソのつき放題をして、己れの格上げをしていたようだが、私が日本に帰国した以上はそんなでまかせや嘘はさせないつかせない。ましてや嘘ついて私の道場生からカネを巻き上げ、借金して返済もせずに、逃げ回っているなど武術家としてあるまじき行為であり、そんな奴は武術家、武術界の恥である。自分で自分を武術家などと豪語するんじゃない。尤氏意拳などとうそぶくんじゃない。己れの実力と身の程をわきまえろ。尤氏意拳と空勁の名称を使うな。普通の学歴と常識があればその名称は使えない筈だ。何なら私の道場の指導員と氣の勝負をしても良い。どちらが勝って、どっちが負けるかは勝負の前に決まっている。こんな奴は日本の社会に益なく、害を及ぼすだけである。私の五十年に及ぶ武術関係者との交わりの中でこんな奴は見た事も聞いた事もない。満足に練習した事もなく、継承を認められた事実もなく、師母と苛酷な訓練をして己れ一人で継承したと言っている。まさにキチガイに刃物を与えてしまった。早く日本の社会から消えて欲しい。キチガイに刃物を与えてしまったのは私の責任であるが、普通の学歴と常識があって精神に異常が無ければ、こんな恥な事をするであろうか?十一月講習会の動画と神田吉隆が秘技と呼んでいる動画と比較してみるがよい。目が悪く無ければ容易に理解出来る筈だ。

日本は世界一

今週のお題「2017年にやりたいこと」

私はアメリカに四十三年間住んだ後、2015年2月に遂に日本に帰国した。私が帰国して一番最初に気づいたのは日本が世界一の国であることだ。日本には日本の国が世界一とは思わない人が相当数いるようである。実は私もアメリカに住んでみるまでは日本が世界一とは思っていなかった。私はアメリカでの氣功の訓練のせいで膝を悪くしてそのあと手首を大骨折してしまい、日本に帰国してから国も認める立派な身体障害者となった。毎日杖をついて歩っていると見知らぬ人が私に声をかけて、大丈夫ですか?と心配をしてくれるのは日常体験している事である。こんな事はアメリカでは経験したことは無い。日本人には他のどの国にも無い優しさと親切心がある。そしてこの国の国民健康保険介護保険のお陰で私には医療費の支払いがビックリする程少なく助かっている。こんな制度も外国には無い。イギリス位であろうか。この医療制度も私は世界一と思っている。北欧の国に比べれば、劣るかもしれないが、機能はしている。帰国してすぐに歯医者へ行ったが、治療が終わって、トイレを使って驚いた。便器の前に立った時に便器のカバーが自動的に開いた。ビックリした。アメリカのホテルでもこんなトイレは無い。公共のトイレは粗末で汚い。これも世界一である。どうりで外国人が日本に来て驚く訳である。私はヨーロッパ、中南米、東南アジアの国々を訪れたことがあるが、日本の国ほど、民度が高く、設備、インフラが整って清潔な国は無かった。私は日本の文化芸術が大好きである。好きというより愛している。私は日本人として生まれたが22歳の時にアメリカへ行ってから43年の月日が流れてしまった。アメリカでは日本を、私の故郷の東北を懐かしくホームシックになったものである。今や日本に戻り、朝起きてから夜寝るまで日本語を喋り、自転車に乗って買い物へ行けば日本の物が溢れて日本のものに囲まれて、周りを見渡せば日本人がいる。私には同胞に囲まれて心地良い事ばかりである。何より安心で安全だ。その上に、私が命をかけて習得した氣功を教えて生活をしている。時折、お金が足りずに困ることもあるが、毎日こんなに楽しく嬉しい日々を過ごしているので別に苦にもならない。ましてや、私には修練を共にする家族の道場生がいる。そして今では私の同志で仲間である道場の指導員がいつも一緒に居てくれるので、寂しいと思う事もない。欲しいものは高いものではないが、全て手に入り、揃っている。高級なものは欲しいと思った事も無い。毎日幸せでいっぱいだ。私は右翼ではない。超リベラリストと自認している。が、日本に生まれて育った事がどれほどに特殊で素晴らしい事なのか、大抵の日本人は当たり前のこととして気づいていない。日本が日本人がほとんど全ての分野で世界一であることを。日本人には特殊な資質がある。どんな事でも手につけた事はどんなものでも完璧に仕上げる事である。今は完璧でない制度であってもいづれは完璧な制度となって日本人に寄与することであろう。

 

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贅沢と瞑想

今週のお題「2017年にやりたいこと」瞑想を深くすると日常的な習慣となり、その日瞑想をスキップすると何か自分の心身がスッキリしない。気持ちが悪い。私は修行中はもちろん、今現在も瞑想の真っ最中で毎日朝晩欠かさず続けている。何故スキップした時にはスッキリしないで気持ちが悪いかといえば、習慣となっているものを1日でも欠いた場合は心理的なプレッシャーとなって罪悪感となるのかもしれないが、我々氣功修練者には他の重要な意味合いがある。1日の間はさまざまな出来事や人間と出会っている。それはある意味氣の交流をしているわけで、良い氣との交流もあれば、悪い氣の交流もある。この現代社会では悪い氣との交流がほとんどである。そんな場合、自分の氣は汚れてしまう。その悪い氣を我々は邪気と呼ぶ。その邪気を自分の心身から追い出して良い氣との交換が瞑想の主目的となる。つまり、良い氣、すなわち正氣と交換できず、邪気が体内に残ってしまうので気持ちが悪くなんとなく落ち着かない。そんな場合は体内の氣が上に上がってしまうので気持ちが悪くなる。私の教えた者が瞑想をせずに瞑想を深めないで自分の業で、我欲を求めて、安易な気持ちでカネと贅沢の追求を始めた結果、ついに贅沢に快感を覚えて堕落した生活を送ったらしい。こんな時はさまざまな邪気と感応して変な顔つきになったり、言動が他の者から見ればおかしく思う事となる。犯罪になるような事も平気でするようになり、自分では悪い事をしているとは気づかない。強欲が瞑想の主目的、主体となるからだ。シッカリと自分の為そうとする事が自分の為か、他の人の為か、いつもチェックしておかねばならない。私もカネが必要になっている。が自分の私的な理由ではない。贅沢には興味がない。簡素でシンプルな生活に満足で氣功の練習が出来る生き様に満足してそれ以上の事に手を出したくはない。道場生の数が増えて欲しいと思う理由は我々の自前の道場があったら道場生がもっと修練に打ち込めるのではないかという思いからだ。この道場を建設出来るまでは私的な旅行や高級なクルマなどの贅沢はしない。人間の心からの思いは氣のエネルギーであって、私的な欲がなければ形となって現実化する。何より邪氣が心身に残らない。いつも氣分が良く、幸福感に浸っていられるのだ。幸せになる秘訣である。太田氣功道場に集まる道場生は私の家族なので道場生全員に幸せになって欲しい。

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