寄生人、神田吉隆

自分の実姉に最初に寄生して二十五年、次に私に寄生して二十五年、最後に寄生したのは私の元道場生であった。寄生することが神田吉隆の人生である。私を父と呼び資産家の女性道場生を母と呼んで情けを武器に生き血、いやいや、利権とカネを吸い取る。神田吉隆の寄生の人生哲学は、私の告発で終止符を打たれた。

しかし、まだ、尤氏意拳に集う生徒達がいる。誰が今は寄生することを辞めたと言えるだろうか?私が感じるには寄生を辞めてはいない。カネの返済から逃げて、逃げて、鳥取くんだりに本拠地を移すくらいでは神田吉隆のコジキ根性は治ってない。人間の性はちょっとやそっとでは治らない。家族だろうが、師匠だろうが、利用出来るモノはどんなモノでも利用する。浪人時代から今の今まで自立の出来ない奴なのだ。冒険者でグランドスラムを達成した若者はカネが欲しくて北極まで行ったか?違う!好きで、人生の中でやり遂げたいと思ったから北極まで行ったのだ。カネが目的であった訳ではない。武術を習うに初めから、カネを儲けようと思うバカ者はいない。寄生虫、寄生植物のみならず、実際に人間にもいたということを、私はこの歳になって、初めて知ったのである。

張り子のトラの尤氏意拳

内容も何もないドクター尤の系統を名乗る神田吉隆の尤氏意拳は張り子のトラである。尤氏意拳と言うならば、神拳の勁空勁があるはずである。私太田光信が、真に認める勁空勁は未だ見ていない。中身は面とグローブをはめて軍鶏のケンカのように戦う日本拳法である。本格的に習ってもなく、師母との訓練もしていなくて、どうして尤氏意拳を名乗ることができるのであろうか。ましてや、ドクター尤の神拳は師母に尤氏長寿養生功として伝わったものを、ナゼに尤氏意拳と言うのであろうか?勁空勁のない尤氏意拳は私には張り子のトラである。バカバカしいキワモノである。早く解散して巻き上げて贅沢に消費したカネの返済を逃れて逃げ回っている尤氏意拳の師を担ぐ生徒達は師の不正を諌めることも出来ずに私の公開質問を師である神田吉隆に質問して事の真偽をハッキリさせる勇気と正義感も無いと見える。こんなことでは、神田吉隆は卑怯でヘタレで、自分の不正の行為を元道場生や私に不正を認めて謝罪する気持ちもないようだ。返済を逃れようと逃げ回る人間を師として担ぐ生徒達も同じ穴のムジナと言える。何がオトコで、何がオトコには二は無いのであろうか?ふざけるな!と言いたい。この不正の師に質問も諫言も出来ぬ尤氏意拳の生徒も神田吉隆と同じレベルの人間であると判断せざるを得ない。もう一度言う。尤氏意拳は張り子のトラである。

正食正体正想の真相

神田吉隆の尤氏意拳の中で唱え文句で使っている正食、正体、正想のアイデアは神田吉隆が考え出したモノではない。アメリカに神田吉隆を呼んで訓練を私が授けていた時に、私が患者治療中に私が将来本を書こうとして書き溜めていたノートがあって、勁、空勁の力を貯める筋力養成法と三点の確実にモノを支える構成として、食、体、想念について書いてあったノートは神田吉隆が一生懸命に読んでいたのである。一カ月後、神田吉隆は日本に帰国したが、そのノートは消えて失くなっていた。もう分かるであろう。自分では何も創造することは出来ない者であるから、こんなことでもしなければそんな哲学的内容などは構築出来ない。その太ももの筋肉養成などの経験は一カ月では出来るモノではない。自分のオリジナルのアイデアのように言って執筆したようなフリして自慢している本は、実は私の考えの盗作であった。それが真実、真相である。

ロバの耳に念仏

難波先生も井上先生も大本教の大先輩でお二人とも普通目にはおじいちゃんだがその道では超一流の方であった。耀椀展では難波先生の情熱、信念に敵う人はいなかった。そして井上先生の食制は食事の改善のみで難病に悩む患者を数多く、救っていたのである。神田吉隆はこれら超一流の先生方の真似とパクリで尤氏意拳の内容としている。私の師欧陽敏師母も超一流の氣功武術家である。たった二回の師母との出会いを数年間も苛酷な訓練をしたとウソをつき、習ったことも無いドクター尤の勁と空勁を習ったような出まかせの印象を世間に与えて、尤氏意拳の生徒を集めようとしている神田吉隆は、破門される前には私の言うことも、難波先生の言うことも聞く耳を持たなくなっていた。ロバの能力しかないのに馬になりたくて、ウソと出まかせで自分を虚飾して尤氏意拳の大先生になっている。私を超一流とは言わないが、私の師母との訓練の期間は師母が亡くなるまで、三十年に及ぶ。それでも私には十分ではないと思っている。神田吉隆に巻き上げたカネの返済とウソとパクリの尤師意拳解散を迫ったが、何の返事もない。まさに馬の耳に念仏、いや、ロバの耳に念仏である。ロバは馬になれない、スズメも鷹にはなれないのだ。諦め切れない執着心があるようだ。自称武術家がウソをつき、履歴をゴマカス。偽名を使う。ここまで正体を暴かれて、末代まで恥を晒したいらしい。ロバやスズメが馬や鷹になりたいと思うだろうか?欲の深い者だけが、そんな醜い我欲と執着心を持つのである。大本教ではそんな良心と人間性を喪失した人間を、四つ足、ケダモノと呼ぶ。

北朝鮮と尤氏意拳

近ごろ、世の中を騒がせているお騒がせ国北朝鮮と尤氏意拳の団体は似ているところが多々ある。あの金正恩と神田こと神田吉隆はスケールと規模の差はあるが本質は同じである。まず正しい後継者で無いにもかかわらず、北朝鮮と尤氏意拳の名を名乗っている。自分の邪魔になる者は身内だろうが何だろうが、どんな手段を使っても排除しようとする。ただ、我欲と権力のみの追求が人生の目的である日本語で言う雑魚(ザコ)、英語では small potato と言うが、両者大魚と大きいジャガイモに見せたがって虚勢を張っている。トランプが近海に空母を展開するに至って、気が気で無く、どのように延命して生き延びるか、右往左往しているだろう。気が小さいくせに国民に相当の負担をかけて、自分を大きく見せるに苦心惨憺である。神田吉隆も同じように虚勢を張ってまるでドクター尤から直接習ったような印象を世間に与えて尤氏意拳を名乗っている。私から見れば、鼻で笑うようなウソ話しである。習ったことも無く、教える内容も無いシロモノをナゼに尤氏意拳と名乗るかと言えば、私の神意拳より境地が上になったと言いたいのであろうが、ウソと虚偽で作りあげた武術にドクター尤の名を使ったその精神、心が 何があっても許せない。羊頭狗肉の方法で他人を騙しても生活費を稼ぎたいものなのか。技を売るなら武術となる技を売れ!金正恩と神田吉隆の人格は私には同じように見えてしょうがない。両者とも終焉の時は近づいている。神田吉隆のお似合いの国は北朝鮮であった。

無題

  今から書くことには題も付けられない。内容がいつも同じでくだらない。神田真澄こと神田吉隆のなりふり構わぬ、恥の無い好意は私の後継者と信じて入門した道場生の心をキズつけるばかりか、カネまで、自分の贅沢と物欲を満足させる為に奪うように供出させて、大借金をするに私の姓を名乗り、ハンコまで押した借用書は私の手元にあるのであるが、この前代未聞の不祥事を解決しようとせずに神意拳改め尤氏意拳と称する新武術団体を今は率いている。ルールも規範も

恥も無い。常識で考えれば、こんな人間性の者がいったい、武術団体を率いることを世間ではどう見るのであろう。犯罪スレスレの行為を本人はどう感じているのだろう?謝罪もなくただ逃げ回っている。これでも己れを武術家と呼ぶのであろうか?これでもまだオトコと言うのだろうか?また、自称であるに間違いない。おのれの外見にのみ、気を使い、内面の見えない心や良心、人間性や責任感には自分の意識を向けないのだろうか?

自分をイケメンと称するこのオトコは

私には大変に醜く見える。吐きそうになる。なんと醜い人生であろうか。私には耐えられないことである。耐えられないから逃げているのか、カネの返済から逃げているのか、たぶん後者であると思うが。耐えられぬほどの屈辱を感じているならば、今ごろ、謝罪の言葉と毎月の返済があるはずである。それほどの心があるならば尤老師の名前は恐れ多くて使えない筈である。いったい、どれほどの勁と空勁が使えると言うのか?最低、今の私に匹敵する技を持たねばならない。初心者に神(シェン)を使ってコントロールしてみよ。又、気の狂った者が現れるか?自分のクレンジングされてない氣を相手に渡してしまう。この自称尤氏意拳創始者神田吉隆と氣の交流を深めて氣の狂いたい者はどうぞと言いたい。何遍も言うが、自分の人生を大事にせよ。人生は長いようで短い。ニセモノに惑わされる時間はない。同じ時間を使うならば、

ホンモノと接した方が良いことは言うを待たない。ニセモノに無駄な時間を使う

純粋な者が憐れでならない。