貧困と不幸
何でもそうであるが、結果として現れている現象事象には必ず原因がある。
私は私の体験を基にして貧困と不幸にも原因があると思うに至った。
貧困と不幸は病いである。病いは西洋医学であっても東洋医学であってもその原因を探らねばならない。その源を探るに最も有効な手段は瞑想である。そして、
貧困が解消してその後に幸せになるとは限らない。カネをたくさん持っても幸せと感じるかどうかは本人の心次第である。貧困を治すクスリは労働である。不幸を治すクスリは心である。
働くことを拒否する者はいつまで経っても貧困のままである。恥づかしながら
私の父親がそうであった。
職人として良い腕を持っていても労働の意欲がない。さすがにギャンブルや女に狂うことは無かったが、いつも仕事を放り出して魚釣りに行く。これでは家族を養えない。あの神田吉隆こと姜吉隆も
カネを掠め取って、私の名を使って大借金しても贅沢してオンナと遊び回っていたので、
その大金も長続きする訳が無い。貧困になって当たり前だ。そして奴が巨万の富を得たとしても内面の心が安定して安心して幸せになっているとは限らない。
心のみが答えを出す。本人の心の悩みがあるうちは堂々めぐりで不幸は続く。心の傷、悩みが不幸へと連鎖する。
断ち切らねばならない。特効薬がある。
瞑想である。瞑想を徹底的にやると、
何があっても目を開けない。いつまでも座っていられる。この飽くなき探究心向上心が
不幸を解消する。心身のバランスを取るのである。心の殻を取り除くと人間は心身がリラックスして楽になる。心の傷は癒えて何をしても楽しく、何を見ても嬉しくてやがて生きていることに感謝するようになる。半分コップに入った水を
半分しか入ってないと思わずに、半分も入っている、と満足出来るようになる。
知足である。幸せになるのに経済的に豊かである必要は無い。幸せの基準はカネや物の豊かさではない。心の豊かさが基準になる。心が満足していればモノが少なくて、例え粗末なモノであっても、不満は無い。満足する心があるからだ。その心を瞑想が作り上げるのである。虫の音に
価値がある。チョットした季節の変化に驚きと満足がある、人間として、
巨万の富より慎ましく高貴な高潔な心を優先させることに価値を求める。これこそがこれからの日本人としての生き方であろう。私は尤氏長寿養生功を徹底的に、妥協せずに、訓練して日本に戻った。
今では私の心は氣功教授に満足して、
たくさんのお金は入らないが、私の気にいる道場生に囲まれて無上の喜びと幸せを感じている。最低限の生活するに困らないお金を毎月いただいて、貧困でも不幸でも無くなった。今では世界の知人友人とコンタクトを取って、友好をますます深めている。楽しくて、嬉しく、幸せだ。
私は私の人生を讃美して私の人生は
素晴らしいものであると思うようになった。父親の甲斐性のなさに苛立ち火のついた線香を私の肌に押し付けた母には私を産んでくれてありがとうと言いたい。私を殺そうとした兄にも兄であってありがとうと言いたい。私をさんざん殴った先生達にはたくさん殴ってくれたから私の反骨精神が育ったと言いたい。
マイナスの、負の出来事は正の結果となって、私は満足で楽しい人生を歩んでいる。
私は貧困と不幸の病いを克服したのであった。
青春
歳をとると 青春や若さは無くなってしまうのであろうか?
否である。
青春とは年齢によって定義されるものではない。
若者であっても、青春を無くしてしまった者もいる。
青春とは本人の心の在り方が若いか、老いているか、 state of mind,心の様相で 青春は現われるのである。私は老齢者となり、身体障害者2級の手帳も持ち、一般常識では私は老人ということになってはいるが、
私の心は老人ではない。私の心は青年のように若く、肉体も左の手足に不自由はあるが、壮年者のように元気で、私は私の道場の氣功教授に私の命を懸けている。これからも日本で、アメリカで更新できなかった運転免許証も取ってクルマを乗り回したいと思っている。それからこの年齢でもう一度結婚して家族を作り平和な家庭を築きたいと願っている。
その辺の若者と何ら変わり無く、毎日を元気で過ごしている。只の隠居老人ではない。週二回の練習の後に指導員や道場生と酒を飲んで食事を楽しんでいる。家の家事も一人でこなし、炊事、掃除洗濯、買い物も自分でやる。百歳まで現役で活躍したいと思っている。瞑想、訓練、氣功教授の賜物である。青春を
謳歌している。
人生100年時代
今では政府指導で人生100年を生きる時代になった。100歳まで生きる時代になったということである。
我々尤氏長寿養生功では、何年も前から
百歳倶楽部と名付けて100歳まで生きることを目標として武術の基礎訓練を行うことで健康長寿を社会一般に訴えている。私は六十を機にリタイアしてアメリカから年金をずっともらっている。あと五十年ほど生きて百歳を超えて年金をもらいたいと
思っている。年金を百歳までもらいましょうとのキャッチフレーズも掲げているのである。今までは六十七十時代であったが、これからは百歳を超えた人生設計をかんがえて生きねばならない。
たくさんの日本人に太田氣功道場の
講習会と練習に参加して百歳まで生きることを考えていただきたい。
秋の夜長と虫の音
ついに暑い夏を過ぎて秋の気配を感じるこの頃になった。まるでサンフランシスコの気候である。師母のことを思い出している。昼間に自転車で行きたいところに行って、買い物をして帰宅する。練習から帰宅して網戸にしている窓にカーテンを閉めてベッドに横たわっていると
虫の音が大合唱している。周りの喧騒のないところに虫の音は砂漠のオアシスのように、お腹の空いた時の亡き妻のオニギリのように私に安心感を与える。
胸がスーっとして瞑想に入る。時間は気にならない。今日も、正確に言えば昨日だが修練をマックスまでしてシャワーを浴びてベッドに座っている。瞑想の合間にこれを書いている。すぐ瞑想に戻って朝まで私の訓練する時間である。このあいだ、ビデオ遠隔治療した患者さんが私に教えてくれた。チベット密教のラマ
僧、活仏は眠らないで瞑想するそうだ。
ドクター尤がなぜ寝ないで瞑想していたのかやっと分かった。私も寝ない。瞑想する。先人の到達した心境に早く私も
到達してその心境を味わいたい。
修行はこれからが佳境に入る。
人生は面白い。人との出会いは私の幅をさらに広げて、深みへと誘ってくれるのである。
勇気と愛と幸せ
世の中には勇気と愛と幸せを持っていないのに勇気と愛と幸せを説く者がいる。
あの尤氏意拳の神田真澄こと姜吉隆を
見よ。前述のものを一切持たないのに勇気と愛と幸せを餌に集客をしている。自分に
ないものを教えることはどんな内容になるのであろうか?自分にないものだから
口にするのであろうか?この尤氏意拳
だけではない。他にもいるはずだ。私は知っている。教える資格がないのに教えている。
私は勇気を持って、師母から尤氏長寿養生功を習い、通氣免許皆伝にまで到達して
私の人生においてさまざまな困難辛苦を乗り越えて、私のPTSD トラウマを克服して、ついに四十三年振りに日本に帰国した。今では殺人的な技を活人の技に
転換して愛と幸せを人生の最終目標と捉えて、共存共栄共生をモットーに太田
氣功道場では勇気と愛と幸せを説いている。進化発展して、人間が到達する最高の心境を目指して毎回の修練に励んでいる。
私は氣功教授を通して勇気と愛と幸せを説いてはいるが、決して遊びやウソ偽りを交えて教えている訳ではない。お遊びではない。
真剣なのである。道場生や講習生をウソと大げさな集客のテクニックだけで人を集めている訳ではない。私自身がウソ偽りのない自分自身の実体験に基づいたことを述べてみんなに納得いく形にして
愛と幸せを獲得する為に瞑想と基礎訓練を教授している。
逃げの人生
何時も私のことを例に出して良い気になっていると思われることは私の本意ではない。ただ、私はどんな局面でも逃げなかった。一生懸命に歯をくいしばって
私のやれることは全てして、その後に
天命を待つ心境であった。
あの尤氏意拳の姜吉隆を見よ。
現実の自分の置かれている状況を直視出来ずに逃げている。逃げてばかりいる
者が一派を立てて宗家創始総師範と自称しているのである。巻き上げたカネと私の名を使って作った借金の返済を拒んで、今も逃げ回っている。自分の置かれている状況を直視出来ずに逃げる者は
何も達成出来ない。ましてや団体を作っても、その団体のトップには立てない。そんな逃げの人生を送っている者が一体
人生の何を教えるのであろうか?ホンモノではない。ニセモノだ。
勇気と幸せを説く者が何の勇気を、何の幸せを、教えるのであろうか?私はどんなことにも逃げなかった。意拳の教えの通り、前に出た。
絶対絶命と思われる時、経済的に立ちゆかなかった時、左膝を大怪我して左手首を大骨折して、右腕一本で妻の介護と家業の治療と家の家事をこなした時も弱音を吐かず、
愚痴も言わない。逃げることはなかった。真っ正面から立ち向かった。
それらのことを切り抜けた時の達成感を
言葉にすることは難しい。人生の醍醐味である。このような経験があって、私
の道場生に道を説くことができるのである。逃げの者は人生を説く資格は無い。
即刻団体を解散して返すべきカネを返して真面目に嘘つかずに働くべきである。
自分のサイズの人生を歩むことである。
自分の分を知って大きな見栄を切らずに
嘘をこかずに自分の真の心のサイズの人生を歩むことである。逃げてばかりいると真に逃げる時に逃げられなくなる。
逃げるともっと惨めで、もっと辛くなる。辛いから逃げるのではない、逃げるから辛くなるのである。逃げないで、
ホンモノになれ!
脳と筋肉
またまたまた NHK BS で実に面白い番組があったので紹介したい。パラオリンピック選手の重量挙げのアスリートは健常の重量上げの選手の記録を抜いて、ついに三百十キロのバーベルを上半身のみで持ち上げて世界記録を作った。何か裏に秘密があるのではと、またあの東京大学スポーツ脳科学先端研究所で詳細に脳と筋肉の関係を調べた。
パラの重量上げでは脚を縛るので上半身だけでバーベルを挙げる。脳の何処が影響しているのか調べたが、結果は上半身の筋肉だけの活用時には脳の広範囲が
活性化していることが分かった。つまり
脚が使えないので脚の筋肉を使う分だけ
脳の広範囲を活性化させて大記録を
達成したとの結論を得た。尤氏長寿養生功では立って瞑想座って瞑想で脳の
活性化を絶えず行なっている。今指導員のジャンプは尋常ではない。ますます
脚力がついている。活性化した脳は
筋肉細胞の中の筋紡錘と連携して
筋肉の活動量を増やしているのである。
いづれは瞑想と筋肉増量の関係性が
この研究所で研究されることであろう。