偽名神田真澄別名神田吉隆本名姜吉隆
以上の者の糾弾の記事を書く。私が帰国以来、このオトコの不正に対して、
ニセ武術尤氏意拳の解散とかすめ取ったカネの使途不明金の全額の返済を求めて今一度、糾弾の文を掲載する。私は
尤氏長寿養生功の太田氣功道場の主宰である太田光信である。私が欧陽敏師母から尤氏長寿養生功を学んだ事は紛れもない事実である。一方、この長たらしい
名前をしょっちゅう変えるオトコ本名
姜吉隆は私からこの氣功を習った期間は
アメリカに私が呼んで教えたたった一ヶ月のあいだである。ふざけるな!と言いたい。何が宗家創始総師範か!
たった一ヶ月の訓練で尤氏長寿養生功の氣功の別派尤氏意拳の宗家創始だと!
それでは私の三十年に及ぶ尤氏長寿養生功の修行は何になるのか?バカにするんじゃない。一ヶ月のハナクソのような
練習が私の三十年の過酷な訓練修行より
上位にあると言うのか?これでは詐欺師も良いところであろう。武術を一ヶ月訓練して師範になることができると言うのか?日本拳法ではそうかもしれないが、
伝統ある中国武術ではそうはいかない。
棚から牡丹餅で私の助けで日本拳法のチャンピオンになったことがこのオトコの気を狂わせてしまったのだ。私の太田の名を借りてさんざん好き放題な不正を行って、不正に得たカネ全額を返済せよとの私の呼びかけを全て無視して逃げ回り、今では住むところ無く、シェアハウスに住んでいると聞く。四十を過ぎて、
シェアハウスに住んでることが日本でどのような意味で受け取られるのか私にはわからない。日本を長いあいだ留守にしたから日本の事情は知らない。が、良いようには取られないだろう。そんなことは四十を過ぎて、格好が悪いだろう。
全て自業自得である。社会のルールを守れない。借金の返済をしない。家賃を溜めて保証人に迷惑かける。師匠の私を裏切り、私の道場生をだます。この人間性は何処から来るのであろう。在日朝鮮人だから?違うだろう。在日だろうが、無かろうが、関係は無い。人間の質である。質に悪性のもの、悪魔の心に感応してこんな人間として許され無い事をしているのである。ここまで来るともはや犯罪と同じことになる。そうなる前に、
謝罪とカネの全額返済を求めて今このブログを書いている。またあの話しか、と
言わないでいただきたい。シェアハウスに住むところまで追い込んだ。あともう
少しでニセ武術団体を解散出来る。
資金源を断ち切る。新しい生徒が尤氏意拳の団体に入らない。団体はぽしゃり、
姜吉隆の野望は潰える。決して尤氏意拳には関わらないでいただきたい。
新しい站椿
ドクター尤老師が王向斉老師から学んだ站椿は、当時、站椿にはいろいろな種類があって、一つの站椿を十五分行なうとまた次の站椿を十五分行なう、それが終わると次から次へと、ドクター尤は
そのシステムを習った後、伝統を踏まえながらも次なる自分の創意工夫を加えて
空勁の世界へと突き進んだ。尤氏長寿養生功の誕生である。尤氏長寿養生功では、十五分毎の細切れになっていた站椿を一つにまとめて、一つの站椿を一時間とした。この一時間の站椿を王向斉老師から、これではどうでしょうかとお聞きしてから許可を得て王向斉老師が納得してこの新しい站椿を認められたのであった。ドクター尤老師は一番弟子弟子あると同時に医師でもあってご自宅に王向斉老師を迎え入れて個人的に意拳の教授を受けておられたので、王向斉老師もドクター尤老師に対して、一目置いていたのであった。これによって、新生意拳の新しい站椿は誕生したのである。しかし、
日本の神田真澄別名神田吉隆本名姜吉隆が勝手に自分の実力と分をわきまえずに名付けた尤氏意拳とは名付け無かった。
医師であって、チベット密教の瞑想に深く通じたドクター尤老師は武術としての瞑想から健康長寿の瞑想へとバージョンアップして新世界を作り上げたのであった。
鎮魂
これは私の教授している尤氏長寿養生功を創立したドクター尤老師と、私の師であって ドクター尤老師の奥様であられた欧陽敏師母に向けての鎮魂で、
私への戒めと私のお詫びでもある。以下。
ドクター尤老師は意拳の王向斉老師に
挑戦して破れ、その場で弟子入りされたのでした。そして、少林拳の名手でもあって、ドイツに医学の留学を終えて医師になられた方でもありました。王向斉老師の一番弟子になった後には、たった
一度だけ王向斉老師から見せて頂いた空勁を、中国のそれに関する凡ゆる文献を読んで調べ上げて、勁空勁主体の新しい氣功を作り上げ、文化大革命後にサンフランシスコに師母とご一緒に来られたのでした。当時ドクター尤が八十代、師母は七十代で老齢になられて、晩年、アメリカに新天地を求められたのでした。よくぞサンフランシスコに来ていただきました。これがアメリカの他の土地であったなら、私には習うチャンスは無かった訳であります。この世界に一つの類い稀な氣功を学ぶ機会を得た私はそれこそ全身全霊死にものぐるいで練習に励みました。最強最良の武術に出逢った私には
これを逃したら、二度と学ぶ機会は
おとづれないと感じたからです。
私がこの氣功を学んだことは偶然とは私には思えません。本当はドクター尤老師も師母も日本に来たかったのでしょう。
そこでたまたまそこに私が居合わせて、
私に白羽の矢が飛んだのでしょう。
私を通じて日本に伝えよ、と。
この武術を武術として伝えられ無い現在、意拳の站椿を深化させる為にチベット密教の瞑想にたどり着いたドクター尤老師は医師だけに先見の明があったのでした。通氣で弟子の氣を丹田に降ろして
武術的に強くなると同時に健康と長寿
も一緒に獲得するシステムを世界で初めて、世界の武術界で初めて作り上げたのであります。その業績は永劫末代讃えられるべきことであります。武術の目的を
殺人から活人へと方向を転換して人間の
健康長寿を目指す平和を構築する手段とするに至ったのであります。私は今一歩、私の経験から、人間の持つ潜在能力を開発できると思われることを氣の交流から思いつき、健康長寿にそれをプラスしています。私は今現在、日本に戻って尤氏長寿養生功を教授して次の世代を育成しております。不覚にも私の不注意と不養生から二度の大病と大骨折で身体障害者となっておりますが、この状態から、私が
どのレベルにまで私が回復するか、どこまでこの氣功武術を発展させることができるかお二人とも天国からお見守り下さい。私はまた日本で全身全霊で全力を尽くして尤氏長寿養生功を発展させて参ります。来年のタヒチ講習会を皮切りに
世界へも発展して参ります。ドクター尤老師と欧陽敏師母の名を世界に轟かせます。師母に私はを以下のことを言われました。
人の前で見せる時は誰から習ったかを言え、と。私は正々堂々と世界の人々に
胸を張って言います。私の師はドクター尤老師と師母であります。と、
お詫びが、一つあります。私がここまで来る過程で、ある愚かなオトコに初歩のこの氣功を教えてそのオトコの為に一時期、間違ってこの氣功の技が伝わったこと、この欲深いオトコが私の道場生から
多額のカネを奪い取って逃げたままの状態です。そして鼻クソのような技術しかないにも関わらずに尤氏意拳などとうそぶいて、ニセの尤氏長寿養生功を教えて
先生方の名を汚しております。でもご安心下さい。私が必ず、このオトコ、神田真澄別名神田吉隆本名姜吉隆を私が生きている限り追及して、あのおぞましい尤氏意拳を解散させて奪い取ったカネを回収して道場生に戻します。安心しておやすみ下さい。
介護問題
最近、家族の高齢者の介護について
家族の負担が大きくなって問題が起きていると言う。私も帰国してから姉たちの世話になって、彼らの負担が大きくなり、老々介護になっていると言われた後からは二年前から一人でアパートを借りて一人暮らしを始めた。それ以来、私は
大変嬉しく楽しく、幸せな毎日を過ごしている。それも全て私が習得して今教授している氣功尤氏長寿養生功のお蔭であると思っている。氣を養うと気血のめぐりが良くなって体温は上がり、健康で元気になる。私は毎日四輪自転車に乗って
買い物、炊事洗濯、家事一般を一人でこなして高齢者の独身生活を楽しんでいる。介護問題になる前にこの氣功尤氏長寿養生功を訓練して私と同じように
高齢者の幸せな老後を迎えていただきたい。
人生
人の一生は命が尽きるまでは、何が起こるか誰も分からない。浮き沈みがあって、人間万事塞翁が馬のことわざ通りである。運命は幼少時に何不自由無く
育っても晩年に尾羽うちからしてあばら家に住む者もいるし、幼少期は鉛筆一本買って貰えない者は大変な金を稼いで、
立派な豪華な家に住む者もいる。だから
人生は面白い。私は極貧無学の家に生まれてその家が嫌で学問と自由を求めて東京に飛び出した。ひょんなことでアメリカに行って、少ししたら、日本に帰るつもりが、四十三年もの間アメリカに
在住してしまった。その間さまざまなことを経験して、今、日本に戻ってきている。アメリカは私にとっては勉強する国、勉強させてもらえる国であった。
思えば、英語の本当に使える英会話、
さまざまな世界の国々へ行って、経験した国際性、アメリカ人の気質と中国人の
考え方と付き合う術、そして一番重要で、
私の人生に大きく影響を与えた尤氏長寿養生功の習得である。私の指導員たちは、みんなが私を慕ってくれて、大事に扱ってくれる。そして道場生もまた、
私に優しく接して、私の人生において、無くてはならない人間達である。私が彼らにできることはこの氣功教授しかない。綿々と続く氣とワザを、私が死にものぐるいで習得した全てを手渡して
私の役目を終えるのである。残す金など何もないが、私が持っているものと言えば私の心とこの氣功しかない。全財産である。しかし、何も惨めな気持ちはない。むしろ、サッパリしていて、感じる気持ちは広大でどこまでも続く宇宙の
広がりのようで、そして、誰とでも友人になれる氣がしている。昨日も道場として使っている施設の掃除のおばさんと
久しぶりに会って、昔からの知り合いのように挨拶してお互い気持ちの良い心地で別れた。顔に笑みが溢れて、私の脚のことを心配してくれる。この方も私の財産になっている。周りの人たちの全てを
このような関係にしたら、人生は
素晴らしいものとなるだろう。
人生はカネが全てではない。人間の気持ちを重んじて自分の周りの人たちと
仲良く、いつも言う共存共栄共生の哲学を持って接することが人生ではないかと
日本に帰国した今、毎日考えているので ある。