不動心と正中線

ある者はホントのことをズバリ言われてあまりに核心をついた言葉に動揺して怒りを顔に出して大声で怒鳴ったり、土壇場に来て逃げ回る。これ全て、己れのブレて、揺るぐ心の仕業である。鍛練されていない心、精神の弱い者の言動と行動である。我々尤氏長寿養生功を学ぶ者は身体の真ん中の線の正中線と言われる鼻とヘソを結んだ身体の中心線を徹底的にブレず、揺るぐことのない線に自分の重心を入れてどんな時にもその正中線を相手の正中線にぴったり合わせて、我の氣と相手の氣が反発するように重なり合わせることが大事 であることを学ぶのである。不動心とは動かぬ心ということだが、どんな状況にあっても、動じない、揺るがない、ブレない精神と心の状態を現している。それを身体で表現すると、微動だにしない正中線と言うことになるだろう。武術においては不動心など言う精神の状態を表す言葉が多いが、実際には体現する手段を持たず、ほとんどの武術では、机上の空論になっていることが多い。我が尤氏長寿養生功の訓練では、正中線を徹底的に鍛えることで、いつの間にか、不動心が育っているのである。両目はぼんやりと相手を見つめて全速力で走って攻撃するようにつき飛ばして来ても顔色一つ変えることはない。私の倍のサイズの白人が押して来ても身体の筋肉は硬直していない。リラックスしていた。腕のチカラを抜いて、脚と腰のチカラを腕に伝えて、相手を押し返すと相手がどんなサイズだろうが、相手をひっくり返すことができるのである。精神の不動心と身体の真ん中の中心線には相関関係があるようである。体験しないと理解出来ない不思議な氣功の世界ではある。

品性

自分の人生を生きている中で、関わる武術の世界にさまざまな人間が出入りする中に哲学を持たない、品性のない者が師匠になる場合がある。私が持っているモノを欲しがり、奪っていった、師匠も実際にはいたのである。かと言って、私が完全無欠で聖人であるとは言わないが、他人のモノに手をつけることなどしたことも考えたこともない。こんな人間としての品性が無い者に翻弄されると何年も時間を無駄に費やし、不毛で、非生産的な会話とカネやモノを失って、貴重な人生の一部分を欠けてしまう。教える技術すら無い、ただたまたまめぐり合わせの悪い先生と生徒の関係を結んだ為に先生ヅラをして権威をカサにして、無理難題を押し付けて私の持つモノに手をつけて奪っていった者がいたのは事実である。そんな者を反面教師にして、今私は師匠の立場になっている。人間として恥ずべき行為はどんな小さなこともしない、品性に欠けることをしないと心に誓い、気を引き締めて尤氏長寿養生功を教えるに恥の無い師になろうと、当たり前の話だが、どんなに苦しくとも他人のモノやカネに手だけはつけることなどは無い。人間性や品性を失うことは師匠失格、人間失格のケダモノとなる。まして、他人の怨みを一身に受けて残りの人生を生きねばならない。悪人犯罪者のレッテルを貼られて平然と生きられるほど、図太い神経を持ち合わせてはいない。人間としての一生を無事に生きるには、良い人間関係を作ることが大切なのである。私の指導員候補も含めた指導員のクラスには私には勿体無いほどの道場生がいる。ユーモアを理解して、練習の後には、爽やかな雰囲気が残って帰宅する。以前若い時に所属していた団体とは月とスッポンのようなもので、太田氣功道場では師と道場生は信頼関係で結ばれている。

発明と進化

人類の発展の歴史には道具の発明が不可欠、必要なモノであった。それまでに誰も考えつかなかったアイデアを思いつき、偶然もあったかもしれないが、道具を発明して一緒の共同体の中に住む仲間たちとその道具を共有する。その画期的な発明にさらに改良を加えてより便利で効果的な道具の発明があって、人類は進化して来た。一つの最初の発明を生むまでに何千年、何万年という時間が人類には必要であったに違いない。火や石器などを例えとして挙げられるだろう。一旦発明が共同体の中で共有されれば、そこからの発展発達は加速度的に早くなって人類は進化して行く。東洋では戦争を媒体に、武術のワザが考案されて、非力な者が大きな相手を制することができるようになった。大きな者が小さな非力な者に負かされて、ビックリすることがあったであろう。氣功武術のように触らずに相手を投げ飛ばすまでにはどれほどの長い年月が必要であったろうか?-そして瞑想によって、氣が蓄えられることを発見するまでに氣が遠くなるほどの時間がかかった。中国武術内家拳の勁のワザの発明と気付きが無かったならば、尤氏長寿養生功も生まれてはいなかった。ドクター尤はたった一度、師匠の王向斉老師が見せた空勁に興味を覚え、中国全土の氣功の文献を全て読破研究し、その内容を理解した上で、触らずに相手を制する空勁のワザを確立して「神拳の尤」と言われるまでになって空勁はドクター尤の独壇場となった。武術界においては誰一人知らぬ者はいない存在であった。文革後にアメリカに亡命した後、サンフランシスコの道場には五百名の道場生が集まったと聞いている。残念ながら、私はそこにはいなかったが、ドクター尤に直接教えられた私の先輩にドクター尤の逸話を毎日聞いたものである。私はその逸話を聞くのが大好きで、まるで、私が実際にそこにいたように臨場感のある迫力のある内容であった。それだけ私には尤氏長寿養生功への思い入れがあったのだ。中国の意拳から進化した姿がそこにはあった。意拳が進化した尤氏長寿養生功には人類に寄与貢献する豊富な内容が存在している。

成金趣味

最近の中国人は海外で傍若無人の突飛な行動、言動で物議を呈している。いわゆる成金趣味である。あまりに急激にカネを掴んで、海外の人間を見下す昔のアメリカンと日本人のようだ。私がカリフォルニア州のとあるスキー場で滑っていた時にインストラクターともう一人の若いアメリカンに挟まれるように三人乗りのリフトに乗っていたところ、このスキー場が日本のサッポロの会社に買収されたことが話題になり、となりのアメリカンが私の顔を見ながら、吐き捨てるように Disgusting!! と言ったので、私を日本人と知っていて、そんな侮辱の言葉を投げたので、こんなバカなアメリカンには教育が必要と思い、何故に東洋人である日本人がこのスキー場を買収することに問題があるのか言ってみろ、ヨーロッパの国が買収したら、何と言うのか?大体お前はアメリカへの投資額第一の国はどこであるのか知っているか?第二は?第三位は?日本は何位だ?と英語で質問してやった。そして一位がオランダ、二位がイギリス、日本は五番目で、アメリカの国債を日本が一番買っている、と理路整然と言い負かしてやったら、グーの音も出ずに黙ってしまった。私は横柄な態度で我が物顔で滑っていた訳でもない。こんな時には、言うべきことをハッキリ言って正してやるのは日本人としての責任であると私は思っていた。白人は長い間、経済が良く、日本や中国の安い人件費で作る商品を、

アメリカンは有り余るカネで買い叩いていたのが、今は逆転して、ジッと耐えた中国がその経済力で海外に進出している。かと言って、横柄な行動や態度で現地の人間と揉めることは許されない。アメリカでも私は生意気な中国人と交通事故、車を当てられた時の中年の中国人の横柄な態度を見て、嫌な気分になった経験がある。私が日本の道場に責任者として据え置いた在日コリアンのオトコも自分で勝手に総師範と名乗り、踏ん反りかえって人をバカにしたような態度をしていたことを思い出す。チョット私と一緒にテレビに出たくらいで、自分をセレブと言い始めた時には、何も持ってない者がチョット顔が売れたり、カネを手に入れた時には、成金趣味の下品な悪趣味の品性のない行動言動をするのを思い出す。奪うようにカネをくすねて、逃げ回る成金趣味のオトコは今ごろ、何をしたり、言ったりしているのであろうか?成金趣味の武術の師匠などを師とする生徒たちは自分たちの師匠を何と思っているのだろう?と私には関係の無い人ごとではあるが、私には気になってしょうがない。

闘病記最終章

今日は術後、初の執刀医による検診があり、血液検査は何も問題無し、傷口のチェックでも大きな問題無く、膝の裏側の傷口に化膿を認める傷口の開きが見つかり、抗生物質の軟膏を塗って事なきを得た。昨日はそのせいか、痛み激しく、かかりつけのクリニックに行くが、休日で閉まっていた。あまりに痛んで休日であるのを忘れていた。痛み止めを飲んで、痛みが半減して歩くのが楽になる。早く治そうと漢方薬の軟膏を塗って、カサブタが早く取れて傷口に細菌が入ってしまったかもしれない。術後にカサブタのことで何も説明が無かったので、私が素人判断で、漢方薬の軟膏を塗ってすぐにカサブタが取れていたのであった。普通の切り傷くらいに軽く考えていたせいだろう。いずれにしても、今は痛みが半減し、起き上がる時に十分ほどあれこれ足を動かして、少し痛みが無くなってから歩き始めて自転車に乗っていたのが、今は早く歩き始めている。回復にまた向かい始めていることに安心して今日の晩御飯を一人焼き肉をして、無事な回復を祝ったのである。ビールと肉とビビンバがうまかった。自転車のペダルを踏む時にまだ痛みがあるが、以前に比べて少し楽になっている。これで、痛み止めを飲みながらリハビリを続けて二週間後に再検診である。もう心配無い。弱った筋肉を鍛えて筋力を取り戻して、ストレッチを毎日行ない、脚を正常に戻す。いつもしていたリハビリを再開して、あと二、三ヶ月すれば、すっかり元に戻るだろう。膝裏の動脈が開通して、血圧は百と七十代になった。正常になった。瞑想で身体の中のホルモンと神経伝達物質を多量に出すようにすれば、回復は早くなるのである。十一月にタヒチに行く前には、杖が必要ないことになっているかもしれない。三カ月毎日欠かさずリハビリを続ける。タヒチの友人たちのビックリする顔を見てみたい。

脳神経と運動神経

尤氏長寿養生功を1987年から2017年までに三十年間のあいだ、毎日欠かさず修行訓練して来て、私は究極的結論とすることを発見して来た。その最大の発見は真理とも言えるモノで、これからの人類にとって、站椿功と座禅による脳神経の開発と尤氏長寿養生功の基礎訓練による筋力トレーニングの運動神経の開発は、実は、同じことであるということである。この二つの訓練法は脳神経と運動神経を完全に結びつける修行法であると私は認識するようになった。筋肉の細胞の中に筋紡錘と呼ばれる細胞が電気信号を通じて脳神経に伝える働きがあって、脳神経がその回路を使い、筋収縮を筋肉に起こさせる。脳と筋肉の結びつく働きを千分の一秒という速さで脳と筋肉が反応するのである。この事実と尤氏長寿養生功の基礎訓練法を照らし合わせると、全ての分野の運動活動に応用できるのではないか?と私は考えるようになった。私は私の発見を私の生涯の中で実証しようと思う。私は私の家族をもう一度作り、私の子供たちを尤氏長寿養生功の基礎訓練法によって鍛え上げて彼らをオリンピック選手になってもらうことで私の説を実証したいと考えている。西洋人との身体の大きさを鍛えられた筋肉で補えば、その差は埋められる。幼少時から、瞑想と運動で鍛えれば、運動のみならず学業でも成功すると確信する。つまり、文武両道が可能となる。筋肉を鍛えることは脳を鍛えることになる。運動も学業も脳神経の働きなのだ。私はこの説を必ず実証してみせる。

伝統文化は支援が不可欠

何百年と続く伝統文化は守るべきモノであって、決して絶やしてはいけないモノである。伝統文化のワザや智慧が途切れてしまえば、それっきり再生することも無く、それっきりで、人類に寄与すべきワザも文化も消滅してしまう。私は尤氏長寿養生功に関わるうちにこの独特な中国文化、特に武術的価値と東洋医学の効果抜群な医学的価値が前代未聞の特別なものに私が気付き、ドクター尤亡き後、たった一人で、ご高齢の師母が我々に真剣に本気でその伝統の文化とワザを残そうとするそのお姿を私が見て、私が将来教える教えないは別にして、真剣に本気で学ぼうと思ったのである。師母は、そんな私の態度を見て、別に教えなくても良い日本人の私に特別に手ほどきをしてくれたのである。今では私が師母の立場に立って尤氏長寿養生功を支援しようとする道場生が現れて来ている現状を見るにつけて、私は特に心から喜びを感じるのである。尤氏長寿養生功の基本訓練はスーパーアスリートを作る礎となり、瞑想の立禅、座禅はスーパー東洋医学の医師や鍼灸師を作って、世界に貢献する文化の一分野となり得るのである。タヒチの人々がそんなチカラを持つ私を見て、これからのタヒチ訪問時には市の行政が航空券食費滞在費の一切を支払うからもっと長く滞在して島民を治療して欲しいという要請であったのが事実の、本当の話しである。尤氏長寿養生功の伝統文化のワザと智慧とチカラが認められた瞬間である。この独特な伝統文化を受け継ぎ守っている私にとってはこの上ない栄光と喜びであったのは、もちろんのことである。日本においても、今やさまざまな形で支援する人が、指導員以外にも現れて来ている現状に私は歓喜に耐えないのである。このブログをお読みになっている人にも、さまざまな形でご支援を賜わりたい。尤氏長寿養生功は中国の文化大革命に露と消える運命に晒されて、サンフランシスコに辿りつき、そしてついに日本に到着して、又、心の無い、カネと贅沢にしか興味の無い者に翻弄されて、私が日本に帰国して三年目を迎えて、今、大きな花を咲かす蕾が出て来ている。思えば、危ういところであった。この上は、尤氏長寿養生功を世界に広めて、たくさんな支持者、サポーターを集めたいという想いである。日本のみならずに世界の人々の心と魂に訴える尤氏長寿養生功の伝統文化のワザと智慧とチカラを紹介して現代に生かせる伝統文化として広めて、心と魂と氣の仲間同志を探しに世界へと羽ばたきたい。このブログ記事を読んでご賛同をいただける方の入会をお勧めしたい。