練習

武術武道に限らず、どんなスポーツ、どんな分野でも、その道のエキスパートになろうと思えば、練習をするしか方法がない。他に近道はない。特に尤氏長寿養生功の勁空勁のワザはあらゆるものの最高峰に位置するもので、相手に触れること無く相手を投げ飛ばしてコントロールするという難しい技術である。練習もせずに師範となって、カネを手に入れたいと思い、師匠と道場生をたぶらかして実力も無いのに別派を立てる人でなし、もいるが、我々尤氏長寿養生功の正統な流れを汲む者は毎回の揺るぎない練習の積み重ねが一番の近道であると心得て、練習に取り組まねばならない。私の修行の経験では、毎日の同じことの繰り返しの中に少しずつの変化があることに気づくのであった。その変化の積み重ねが上達につながるのである。であるから練習以外には上達の方法は無い。真剣に師との訓練が一回一回の真剣勝負と思い、自分が納得した時に勝ちを収めて納得出来ぬ時が負けと思い、勝負は自分と対決すると覚悟を決めて訓練に励め!というのが私の尤氏長寿養生功の道場生に対しての訓示となる。

体力

尤氏長寿養生功の震脚と基礎訓練によって培われる強い心肺機能と体力は驚くべきものとなる。実験をした訳ではないが、オリンピック選手のそれに比べても、勝るとも劣らない。指導員の一人が合気道を習っていて、師範に何遍投げられても、延々と投げられ続けても、息が切れないほど体力とスタミナがついていたと言うのである。私にも経験があるが、師母との訓練がピークに達していた時には私の体調は絶頂を迎えて、何をしても集中力は途切れること無く、鉄人のようにアメリカと日本を一年で六回ほど往復して講習会をやり遂げた。一時期は新幹線の山陽側の駅で降りて、反対側の山陰の萩市まで山を越えて歩いて行こうとしたくらいの旺盛な気力と体力を持ち合わせていた。見る者は、こいつは気が狂っているのではないか?と思ったに違いない。またある時には、青森・弘前市岩木山の頂上まで歩いて登っていた。こんなことを、いつの間にかやり遂げていたのであった。今考えると、不思議な行動を起こしていたものである。尤氏長寿養生功を訓練すると、挑戦する気持ちと体力が備わるのである。

勁の原理

世の中に生まれて、何遍考えても分からないことを全て解明することを死を迎えるまでに成し遂げれば、生まれてきた甲斐があるというものである。私は武術武道を半世紀にわたり携わって、チカラとワザを超える勁力について、是非とも習得してその全てを解明することに情熱を燃やして、今に至っている。分かったことを共有しよう。勁のチカラというものはただの一般に言う、力が強いと言う力とは違う。外家拳の突きが腕の力に頼る力は勁ではない。これまで解明した私の知識と経験では、勁は脚力が基本で、脚力を上半身や腕に伝えたチカラを勁と呼ぶ。つまり、エンコしたクルマを押して動かす時に使う身体の使い方であり、そのチカラを武術的な使うチカラを勁と呼ぶことになる。その武術的な使い方にはさまざまにあるだろう。日本の武術では、合気道で使うワザには勁がある。しかし、勁を習うシステムは確立しておらず, ワザを何年も何十年も訓練する中で自然に勁を使うことができるようになっているようだ。一方、中国武術では、脚腰の徹底的な鍛錬の方法はしっかり確立されており、脚力の養成が勁を使うベースになっていることをハッキリと理解している。明治の柔道家が大きな外国人を思い切り投げ飛ばしていた事実は日本人が当時、勁を使うことが出来ていたことの証明であると私は理解している。当時の日本人の日常の生活様式を考えると勁を使う準備、訓練を毎日していたことになる。現代での西洋式のライフスタイルでは、站椿功や基礎訓練でトレーニングしなければ、勁を使えるだけの脚力は鍛えられない。尤氏長寿養生功の修練をすると自然に脚力が出来て、勁を使えるようになる。もちろん、私が師母と過ごした年数と真剣な修行が必要である。私が一時期教えた者はたった一ヶ月で、尤氏長寿養生功の真髄を学んだ、と言っていたが、内家拳を知る者ならば、誰一人としてその言葉を信じる者はいないだろう。仮にも中国最強と言われた武術を私が教えた期間の一ヶ月でその真髄を習得出来る訳が無い。ウソで自分を飾りつけている。良く合気道の人間が講習会に来て私の勁で投げられ、空勁でコントロールされた後に不思議な顔をしているが、勁までが合気道の限界であるようだ。空勁は、勁をかけられて氣が身体を充分に巡るようになって出来る、触れずに相手を投げるワザであり、尤氏長寿養生功の独壇場である。我々のレベルの空勁は他には見たことは無い。勁が脚力をベースにするに対して空勁は瞑想で鍛えられた脳神経と氣がベースとなっている。空勁が出来ると勁を使うことは赤ん坊のレベルとなってしまう。空勁は武術武道の最高峰のワザと言える。空勁については、さらに多くの時間をかけて言わねばならない。またの機会としよう。勁と空勁は連続して繋がっている、とだけ言っておこう。もうひとつある。勁は武術以外、スポーツ、ボクシング、ボート、などオリンピック競技にも応用可能で、驚くべき成績を上げることができる。

シャオフー 小虎

私はチーター、ラオフージャイと呼ばれたが、一般道場生はシャオフー、小虎と師母に呼ばれた。私はこの私の呼び名を含めた、中国武術の師弟関係や本格的な伝統の中国武術の雰囲気を気に入って楽しんだ。日本武術には無い呼び名をつけて弟子を呼ぶ。師母には武術の師としての風格と権威、迫力があった。日本の武術武道は生徒をまるで、金太郎飴を作るように十羽一絡げに大量生産する傾向があって、段位制度の、黒帯になったら急に実力を伴わぬ権威を持ち、威圧的な態度になるブジュツカが多いのに閉口していた私には珍しく、魂を揺さぶられる感覚があった。ひとつの型や訓練を何年もかけて、筋力を不動で揺るぎ無いものとする中国武術に感心した。一方日本の武道では次々と新しい技を昇段審査で買うような商売になっている状況を私は憂いていた。なおさら、師との一対一の訓練に没頭した。今、日本で尤氏長寿養生功を教授するにも同じシステムで、一対一の真剣勝負の訓練を授けることは、意拳の武術としての伝統を守ることになると思い、私が時に師母になり、時にドクター尤になって、その気迫とワザと雰囲気を踏襲している。

チーター

今、太田氣功道場では、精鋭の道場生が集まり、みんなのジャンプ、震脚の質が向上して施設の体育室の床が一人ひとりの震脚の度に大揺れしている。私はこの瞬間が大いに気に入っている。師母と私の一対一の真剣勝負のジャンプすなわち、震脚を思い出すからである。私の思い出話を美化したり、大げさに言おうとしているものではないことを断わっておく。ホームページにも掲載していたが、私は師母に唯一、チーターというあだ名をつけられた。別に足が速かった訳ではない。五メートルくらいの距離から全力疾走して師母に襲いかかると、師母の氣に吹っ飛ばされて、受け身をとった瞬間に立ち上がり、次の攻撃に移ってまた全力疾走して襲いかかる、このやりとりを師母はお世辞抜きに手放しで喜んでいた。他の先輩同輩たちは私より遅く、人によってはワーワー騒ぎながら転がり回るとユックリ歩いて師母に近寄る者もいる。私は私の道場生にこのことを伝えて道場生も真剣に全身全霊で震脚するようになって来ている。事情を知らない見物客がいたならば、怖ろしがる光景だろう。頑丈に作られた体育室全体が震脚で揺れている。師母が私の震脚に満足したように、私も私の道場生の震脚に満足して来ている。チーター二号が誕生するのも時間の問題である。震脚が激しく、ナイキのエアーバッグの入ったバスケットシューズを履いていたが、エアーバッグは潰れて何回も新品を買って交換した。

生涯修行

武術武道を若い時だけ修行して、それで修行を終える者もいるが、尤氏長寿養生功は歳をとってからほど大事になって来るもので、修行がますます面白くなって来る。外家拳と呼ばれる突き蹴りを主体にする武術武道においては、スピードのある、力の強い者が有利な若者向けの武術武道であるから、歳をとった老人には内家拳と呼ばれる武術武道、例えば太極拳のような氣を練るような武術武道が合っているだろう。健康目的のゆったりした動きの中に武術武道を楽しむのである。特に尤氏長寿養生功は訓練しているだけで、自然に健康で長寿になる。王向斉老師の下に集まる弟子たちがいつの間にか、八十を越えていたので、意拳の站椿をすることの効果に気づき、ドクター尤老師が医師の立場から意拳の站椿を長寿養生の手段となるように目的を殺人から活人へと変えたものである。私はそれに潜在能力の開発を加えたい。生涯修行して初めて気づくこともある。真理というものは若いうちには理解出来ないものであって、歳をとってから分かることである。歳をとり、病氣やケガで身体が弱って来る時こそ尤氏長寿養生功のチカラが発揮する。若いうちには身体が丈夫で氣功の効果を実感出来ない。私も今、身体障害者になっても、椅子に座って、道場生や講習会の参加者を勁空勁で投げ飛ばしている事実を見れば、私の言っている武術武道の「生涯修行」の意味が分かるであろう。

観て、聴いて、訓練する

師母は良く、何回も、観ろ、聴け、訓練しろ、と言っていたのであった。最晩年になって、尤氏長寿養生功のワザの伝承を毎日考えていたと思われる。私が適任者であったかどうかは知らないが、そのような状況にあって、道場内では、熾烈な競争が日常茶飯事ではあった。特に中国人の道場生は何か特別な秘術があって、それを師母が教えてくれると思っていたらしい。私はそんなものは無く、毎日、飽きもせずに師母との一対一のジャンプと毎回の站椿と瞑想を続ける連続した師母との氣の繋がりこそが師母が唯一残してくれる、いわゆる「秘術」であると思っていたので、競争などする考えも無かった。私が毎日通い続けているだけで、すでに道場内では、私が筆頭の地位についていたのを知っていたからである。毎日、観て、聴いて、練習していれば、その繰り返しの蓄積があり、その蓄積されたエネルギーそのものが後の自分が作ることのできる秘術となるのを他の道場生は気付いてはいなかった。私にはその修練の多大な蓄積があるので、現在の私が私の解釈した尤氏長寿養生功の新しい世界を開拓しても本来の尤氏長寿養生功から遠く離れたものにならずに核の中心は残して太田氣功道場として尤氏長寿養生功を教えることができるのである。勁空勁の本質を失うこと無く、伝承を続けて行けるのである。尤氏意拳という道に外れたものにはならないのである。