I'll be back

 私がタヒチに住居を構えて移住した後に、必ず私は日本に戻ってくる。日本の太田氣功道場を忘れる訳ではない。そしてこの移住は撤退ではない。これは最大の画期的な前進である。移住後一年ほどでまた講習会に戻ってくる。私の計算では年に二度の講習会を開催出来るはずである。私はみんなを忘れないから、みんなも私を忘れないでもらいたい。移住する前に患者と道場生がすでに集まっており、ヨガの先生と一緒に運営してマナヒーリングセンターという medical Yoga and Chigong  を鍼灸のオフィスと含めた総合医療センターを開設することになっている。共生共存の精神でヨガも氣功も島の住民の健康と長寿に貢献して行きたいと計画しているのである。島の人口が多くはないので、人の繋がりを媒介にして多くの島民が押し寄せることになるだろう。私の友人は新聞社の記者をしているから、新聞に私の記事と医療センター開設の記事が載ることになっているからだ。先回の治療が良い結果が出て、評判になっているらしいので来年には患者が押し寄せることになるだろう。また鍼灸で仕事をすることになるとは思ってもみなかったが、まだ働けるということは大変ありがたいことである。一生懸命に患者を治療して、お金を稼いで日本に戻ってくる資金にしたい。この歳になってまだ目標を立てて生きることができるのは珍しいことであろう。タヒチの新しい生活に好奇心と冒険の心を持って、しばらくは日本とタヒチのあいだを行き来して見たいと思う。I'll be back! I shall return!

偏差

偏差とは、氣功を訓練しているあいだに自分の生い立ちや解決出来ていない精神的な問題がいつの間にか心理の表層に浮き上がって自己の私欲や傲慢な心などが態度として誰の目にも明らかに生意気になり、自分のハナクソのチカラを過信して、自分が一番偉いように思い始めるような態度を取るキチガイの行為などをする者の状態を氣功の専門用語で偏差と言うのである。こんな愚かな者が時折氣功の道場では出てくる時がある。禅の瞑想を行なう雲水にもたまに現われると言う。よほど修行としての瞑想が足りずに自分の我欲に強欲なほどに執着する輩にこんな者が多い。修行が足りない!ということである。 天狗と言う厄介な妖怪は、実は自身の抑え切れない鼻高の傲慢な心であった。

勁空勁コース

太田氣功道場では、勁空勁コースを特別に設けることにした。勁空勁コースは太田氣功道場に一定の期間通って、私との関係を築き上げて信頼関係のある道場生と気功学校の教師になった者で一定期間分校運営に携わった者に優先的にコースを取ることができる。勁空勁は尤氏長寿養生功の核で、秘密とされている奥義の秘技である。私が一時、私の開発した誰にでもできる勁空勁を一日二日ほど教えた者が、少し出来るようになったことを奥義秘技の全てを習ったとオーバーに自分を飾り、勝手に自分が創始したと言うハナクソの勁空勁とは、訳が違う私が今まで苦心惨憺の結果私がしている勁空勁を教えるのである。私の指導員たちは私のホンモノの勁空勁ができるようになっている。同じことを習得するコースである。道場に通うか、氣功学校の教師を目指すどちらかを選択してもらいたい。私の移住前に氣功学校の教師をできるだけ多く養成したいと思っている。移住後も私は講習会に必ず戻ってくる。興味のある者は太田氣功道場事務局まで問い合わせしてもらいたい。

人材の発掘

太田氣功道場は地方遠隔地に気功学校の分校を設置して、講習会を開催すると同時にできるだけ多くの参加者との氣の交流を通して尤氏長寿養生功を推進してもらえる人材の発掘に力を入れている。人材とは、すなわち、太田氣功道場の伝統のワザの正統性を信じて、もちろんそのワザの威力を信じ、氣を信じて秩序を守る者のことである。三段階に分けられる。気功学校の学生から教師となり、教師から昇格して支部長となって、尤氏長寿養生功の基礎訓練を教えた後に最終的には勁空勁を学ぶ。私の指導員たちはすでに、勁空勁を使えるレベルにある。武術武道に携わる者のみならず、東洋医学を職業としている者にも今まで習ったことがないような知識と体験を与えられる。私がタヒチに移住する前にできるだけ多くの気功学校の教師を育てたい。あと一年ほどあるので、そのあいだに本部道場に通ってもらいたい。地理的に無理な場合、テレビ電話での私から直接の指導となる。地方の講習会も以前同様に、私が直接地方に出向いて講習会を開催する。東北初の山形講習会に多くの人材に集結してもらいたい。テレビ電話での分校教師養成も移住前に受け付けている。

天命

人生の中で、不思議な縁で何かと関わり、そのことが運命となって、使命を帯びて、どうしてもこの世の存命中に成し遂げねばならないことが出てくることがある。これは天命と言うことができるだろう。私が学んだ尤氏長寿養生功がそれである。縁あって、渡米して日本の武道の普及をしたこと、武道の訓練でケガを治す整体整骨への興味が昂じて中医となった、その年に尤氏長寿養生功に遭遇して通気を受けて、日本でこの氣功の教授を始めて今や、世界に拡めようとタヒチに移住することとなったことの私の天命に驚かざるを得ない。何故私であったのか?天から命ぜられ、選ばれたのならば、私の人生をかけて成し遂げねばならない。日本、アメリカ、フランス、ニューカレドニア、に尤氏長寿養生功を展開する。私の感覚感性では、心地良い環境で天命を成し遂げることができるのは大変に幸運で、名誉なことである。あまりにユニークで、特殊な天職と言える。タヒチではインドのヨガとコラボしてヒーリングセンターを運営することになっている。私が住まいする島には丘があり、ジャングルが続いて密生している。リハビリとして、ジャングルを毎朝歩き、珊瑚礁の海ではカヤックで散策する。これほどの環境下で瞑想することはあまりに恵まれ過ぎている。地上の楽園と言われているタヒチで肉体を元に戻す改造を行なって天命を成し遂げるのである。

弟子と生徒

中国の弟子と言うことと日本の弟子と言うことの内容と意味は全く違うものである。日本では武術武道で入門すると弟子と呼ぶようであるが、私が学んだ尤氏長寿養生功の師母は、なかなかに道場生を弟子とは呼ばなかった。だから、私は中国の文化的なものもあって道場生を全て弟子と呼ぶことに抵抗がある。中国の伝統的な武術に於ける弟子とは昔の徒弟制度のような、師を絶対的な存在として身の回りの世話はもちろんのこと、肉親の親以上の存在として尽くしたのである。私自身はただの道場生とはなりたくない気持ちが強く、もっと師母に近づきたいと思っていたので、師母は私を弟子とは呼ばなかったが、私側では私が弟子であるとの認識で、車での送迎を買って出て、毎回の練習に私の車で送り迎えをしたり、訓練後の食事など、常に寄り添っていた。私は私の車を三年ほどで乗り潰してしまった。だから、師母とは、個人的な繋がりで心の交流があった。私の片言の中国語と師母のチョットの英語であまり会話が滑らかにはならないが、私の忠節を知って欲しかったのである。それほど尤氏長寿養生功は私にとって大事なものであった。今の時代に徒弟制度で私の道場生を縛りつけるほどに私は封建的ではない。しかし、日本のように簡単に誰でも弟子と呼ぶことが出来ないことも私の心である。そこで私は出来るだけ、気持ちを一つにするように心と心の交流を深めて私と道場生の関係を保とうとしている。タヒチの島では人口が一万五千人しかいないので、人と人の距離が近く、道場生以上の、友人となる関係に必然的になってしまう。すでに友人となっているフランス人道場生がもうすぐ来日して、一緒に鎌倉と京都を私が案内することになっている。初めての日本での練習に参加する予定もある。フランス本国に尤氏長寿養生功が上陸することは時間の問題である。尤氏長寿養生功の伝播の流れはもう出来ている。ニューカレドニアにも支部がすぐに出来る流れが出来ているのだ。私がタヒチに行けば、大きな波になる。楽しみでならない。

南十字星

来年のタヒチ移住に向けてブログ名を新しく南十字星と変えて、新しい出発としたいと思う次第である。これよりは過去の忌まわしい離叛者たちのことは忘れてタヒチの嬉しく楽しい情報ばかりを書きたいと思う。愚かでネガティヴなエネルギーはこちらのエネルギーをも巻き込み、悪い結果をもたらす。七月の初旬にタヒチの道場生友人が来日して一緒にフランス大使館に行き、ビザの情報をもっと詳しく聞くことになっている。どんどん前進して私の夢が近づきつつある。嬉しい限りである。脚の調子が良くなって来ていることも、私の情操を和やかに元気づけてくれている。20センチの台に座り、立ち上がれるようになっている。健常人でも難しいと言う。何処にも掴まらずに立ったり座ったりする。以前には全く出来ないことができるようになったことは私を元気づけて、勇気とやる気を与えてくれる。再生と復活の兆しが見えている。私がタヒチで私の肉体は復活再生する。食事と運動、リハビリを毎日、ヨガのストレッチと共に行なって杖を捨てる覚悟である。南十字星を見上げて瞑想に毎朝毎晩取り組む。どんなひどいケガも病氣も本人の努力によって再生復活することを証明するのである。この四年のあいだ、帰国当時に比べレバ、格段に改善したが、この二、三ヶ月でさらに良くなって正座とあぐらができるようになり、冷たかった左足がポカポカとするようになってしびれや痛みが軽減した。血管の通りが良くなり、しびれが軽くなった。普通に歩ける自信が出て、階段を悪い左足からステップを踏む気力がある。以前には思いもしないことだった。左脚に筋力がついて筋肉が割れて来ている。もっとトレーニングすると右脚のように筋肉がついて同じ形になることは間違いない。南十字星を見上げると日本では見られない星で、すごくロマンチックな気分になる。パワー、氣をたくさんもらえるのである。