EPISTEMOLOGY

今週のお題「カラオケの十八番」 私が日本で大学に通っていた時にフランス語の先生の講義を受けた時の印象が強く残っていて、未だにその内容を覚えている。哲学の Epistemology  の講義であった。その内容はどんな分野の学問であれ、深く、深く、掘り下げて地下の水脈に到達すると水質、水脈は同質であって、同じ水を得られるということである。今の私がそれを解釈すると、全く関係の無い分野あっても深く掘り下げると「真理」に到達する。同じ哲学的内容を共有出来ると理解出来るようになった。三十年間も氣を追求、研究して一流、超一流の科学者やその道の覚者とお話しさせていただく度にその思いを強くしている。綜合格闘家元世界チャンピオン、小笠原流弓道師範、ノーベル賞を狙う天文物理学者、全く違う分野であっても、一人一人の方の見識、物の見方、考え方が同じで、皆さんはジェントルマンであった。お話しした後の私の胸に残る爽やかさは今でも忘れられない。ところが、二流、三流の武術家、武道家そして科学者は話のあちこちにトゲがあり、競う心が見え隠れして、話しの途中で、話しの後で嫌な感情が残り私をイラつかせたものだった。おそらく、トコトンまで自分を追い込む修練もせずに科学者も研究もロクにせず、修行研究の目的がカネ勘定や我欲にまみれたものにすり替わってしまったのである。そんな者たちとは氣の交流も出来ぬまま、私の記憶から消えてしまった者たちであった。何か心身ともに氣が滞っていて、それが解決されていなかったのであろう。極度の緊張、猜疑心、硬さ、人前で氣で操られることへの恐怖心、操られた事を負けたと思う競争心など、私にしてみれば、人生の中でたった一度の氣の体感が出来るチャンスと思えば、いっときの羞恥心など取るに足らないものだと思うのだが。リラックスしているつもりでも極度に緊張する者もいる。人生で生まれて初めて、氣の交流で氣の体感をした方々はそれまでの世界観を一変させられて物事を全く違う角度で見ることができるようになって、自己の本来持っている能力に気づき、その能力を見事に開花させた人達もたくさんいる。またこの氣を無益な闘争の手段にしようとした者、立身出世の道具とした者もいる。宇宙のエネルギーでもある物を私利私欲に利用した者の結末はどのようなことになるか?一時的な結果だけに満足してしめしめと思っても、その後の人生が幸せになれるとは限らない。因果応報の結末が待っているだけである。氣は神のエネルギーでもあるから破壊、虚偽の方向性に向かえば自分の破滅に向かい、神の生成化育の方向性に向かえば良性のエネルギーを受けて自分の人生は好転していくのだ。全て自分の中の良心や判断に任せられているのである。嘘や虚偽は自己の破滅につながることは目に見えている。