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文武両道の私の私見

文武両道に少しでも触れたので私の文武両道の私見を披露したい。文と言えば学問、学業と言う事になる。武となれば武的な技術一般を含めた武術的な綜合的技倆になるだろうか。私が五十年来、関わったいわゆる武術武道指導者の中には人格共に立派な人もいたのであるが、もちろん、いつも言う反面教師となるダメ武術家武道家もいたのである。ハンコで押したようにカネカネカネの指導者であった。私は生まれつきノンビリした性格のせいか武道とカネを結びつけることは出来なかった。そんなことはルール違反であさましいと思っていた。たまたま、私が習った氣功武術が日本のテレビで全国的に取り上げられて、開いて道場は脱税で有名になった呼吸法の生徒で満員になった私を見た神田吉隆は母親と姉さんをフルに活用して私の指導を月謝も払わずにある程度のレベルまで習うには習ったが私が病氣で倒れるや、烈火の如くに私をなじり、私が倒れたら、自分のモチベーションを何処にもってけ!ば良いんですかと私に向かって怒る始末である。自分で企画した日本での地位を私を神格化する事によって不動のものにしてあわよくば丸ごと乗っ取って仕舞おうとの計画がフイになるからだ。そもそも、私の姓を使ってウソと虚偽で全体の構図を作るなど、スグに破綻するのはどんな人間でも分かることだ。どっちみち、神田吉隆の言動に不審な点が多々あって私と道場生を分断して自分が中に入って、勝手に自分に都合の良いように行動し始めていたので、どのように幕を引こうかと考えていたのである。そんな矢先に、道場生へのカネの不祥事が発覚して神田吉隆との関係は切れたのであった。道場がなくなっても何処かの公園で続けると言う狂った事を言うので、もう終わりにしようと説得して縁を切ったのである。最期の行動が見苦しい。自分で私を神格化しておいて、私を不死身の人間のように道場生に説明していたのである。自分でも自分のしたコトがゴッチャになって、氣功を教える者は病氣にならずに死にもしないと思っていたようだ。私を神格化することで自分の格上げしてその計画が崩れるので私に怒ったらしい。勝手な人間である。幼稚園児の頭では無理もないが、、、。単純でこういう時はなだめるのに苦労する。私をいつも、父、父と呼んでいたので、父がムスコの面倒みるのは当たり前だろうと言う又自分で描いた身勝手なストーリーだろうか?いずれにしても、又、同じカネカネカネの武道家だ。もうウンザリだ。私が引き寄せたエネルギーだろうが、余りに運が悪すぎた。私が自分のお金と時間、エネルギーを使ってこんな者の尻ぬぐいばかりだ。以前にも同じような事はあった。本人には武術教授は向いてないから、マトモに真面目に働けと言ったが言う事を聞くような人間ではない。私はアメリカで真面目に働いて自分の家を三回買った。働けば、真面目に働けば、家なぞスグ買える。モチロン、当時、家は頑張れば買えるものであった。日本の家が高すぎる。それはさておき、私が知り合ったダメ武術家武道家は武ばかりやって、学業をおろそかにしていたようだ。私の経験では、学業のレベルと武のレベルは同じ線上にあると思われる。尤氏意拳のホームページを良く読むが、気になる箇所がある。いつも英語の表現が出てくる。セレブの間に氣功が流行している。だから貴方もやりなさい、ということであろうが、そんな話は聞いたことはない。西洋の話は日本人は弱く、そんな子供騙しに乗るバカな日本人はいない。私はそんな手には乗らない。武に何を求めるかが問題である。私は幼い頃から身体が弱く柔道、空手、剣道にすごく、興味があったが医者から激しい運動と体育は禁じられていたので武道などはご法度である。東京の大学では真っ先に少林寺拳法に入会して毎日練習した。数年すると身体が出来てがっしりした体格を手に入れて、病氣もしなくなった。成人するから当たり前と言えば当たり前ではあるが、とにかく嬉しかった。英語は私が得意とするもので中学で教科書を手にした時から一生懸命に勉強したものである。大学も英語の特化した大学を選んだ。大学の間に英会話をマスターして、渡米したのであった。いろいろあって、この氣功に出会って、私の人生は大きく転換したのである。人並み以上に勉強したものがあれば武術の修行も苦にはならない。激しく苛酷な訓練ではあったが今となっては苦しい、キツイ修行も笑い飛ばせるのである。文武は一対で自分の人格、性格を陶冶して人生の軸となる指針を作る。自分の核を作るのだ。神田吉隆は人格、性格も歪んでしまって人生も歪み破綻している筈だ。いずれ、道場生や友人も去り、孤立無援の一人ぽっちになって最期を遂げる。ウソや虚偽は悪性のエネルギーであるが、その非を認めてやり直せば、その思考と行為は良性であるから、人生も好転する。神田吉隆が何時も言ってたオトコは、本物の男は、自分の非を認めてやり直せる人間ではないだろうか。一生懸命に自分の穴を埋める為にウソをつく人間と一生懸命にコツコツとウソをつかずに、誠実に生きていく人間とでは、神様はどちらにチカラをお貸しするであろうか?私はドクター尤と師母の教えの通り、瞑想を日課として誠実に私の人生を全うしたい。私の道場生は私の家族同然である。ウソも虚偽も作り話も無い関係と絆を作りたい。文武の修行は果てしない、終わりのない修行である。人格、性格、人生を向上して誠実で楽しく嬉しい人生を私は終えたい。修行はまだ続く。