無題

  今から書くことには題も付けられない。内容がいつも同じでくだらない。神田真澄こと神田吉隆のなりふり構わぬ、恥の無い好意は私の後継者と信じて入門した道場生の心をキズつけるばかりか、カネまで、自分の贅沢と物欲を満足させる為に奪うように供出させて、大借金をするに私の姓を名乗り、ハンコまで押した借用書は私の手元にあるのであるが、この前代未聞の不祥事を解決しようとせずに神意拳改め尤氏意拳と称する新武術団体を今は率いている。ルールも規範も

恥も無い。常識で考えれば、こんな人間性の者がいったい、武術団体を率いることを世間ではどう見るのであろう。犯罪スレスレの行為を本人はどう感じているのだろう?謝罪もなくただ逃げ回っている。これでも己れを武術家と呼ぶのであろうか?これでもまだオトコと言うのだろうか?また、自称であるに間違いない。おのれの外見にのみ、気を使い、内面の見えない心や良心、人間性や責任感には自分の意識を向けないのだろうか?

自分をイケメンと称するこのオトコは

私には大変に醜く見える。吐きそうになる。なんと醜い人生であろうか。私には耐えられないことである。耐えられないから逃げているのか、カネの返済から逃げているのか、たぶん後者であると思うが。耐えられぬほどの屈辱を感じているならば、今ごろ、謝罪の言葉と毎月の返済があるはずである。それほどの心があるならば尤老師の名前は恐れ多くて使えない筈である。いったい、どれほどの勁と空勁が使えると言うのか?最低、今の私に匹敵する技を持たねばならない。初心者に神(シェン)を使ってコントロールしてみよ。又、気の狂った者が現れるか?自分のクレンジングされてない氣を相手に渡してしまう。この自称尤氏意拳創始者神田吉隆と氣の交流を深めて氣の狂いたい者はどうぞと言いたい。何遍も言うが、自分の人生を大事にせよ。人生は長いようで短い。ニセモノに惑わされる時間はない。同じ時間を使うならば、

ホンモノと接した方が良いことは言うを待たない。ニセモノに無駄な時間を使う

純粋な者が憐れでならない。