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氣について

今週のお題「部活動」氣については、さまざまな流派の氣功団体がさまざまなその流派の特徴を表して、さまざまなことを言っている。私は以前日本在住の外国人を氣で触れずに、投げ飛ばした時に、氣は万物の根源であると説明したが、今では、更に私の考えは深まって氣は生きているものだけでなく、無機質の石や我々の周りの全てに氣と言うものは存在していると思っている。のみならず、氣は愛であり、神氣であって氣こそが宗教の説く神仏であると思うようになった。愛を説かない宗教は無い。氣が愛であるなら氣こそが宗教の中心にならねばならない。私が習った神道の教えでは、神は生成化育そのもので万物を生み育てるチカラであると。破壊のエネルギーは神のチカラではない。拡大発展させるものであると。氣の文字を分解すると氣の中に米がある。米は食べる米だけでなく、米は八方に広がる意味でもあるのだ。であるから、我々は氣を気とは書かずに氣と書くのである。気は氣を止める、〆る意味があるので、気の文字を書かないのである。人の一生は、みんな拡大発展と向上を目指す。決して、止めよう、〆ようとは思わないはずだ。なので、気は不吉で、使うには不適切な文字である。いまどき、気を氣と書く者はいないだろうが、氣と書く事で自己の運氣も変わって来るものと思われる。新当用漢字が全て適切と思ってはいけない。個々の考え方を自分で大事にして人生を雄々しく生きなければならない。人が、文部省が何を言おうと、自主独立の気概を持って自分の運氣を切り開いていくのである。そうして行けば、自然と、自分の氣は増大して、さまざまな分野でその氣使い、自己の能力を開花させることが出来るのである。人間の能力は普段眠っている。氣が経絡を通り始めると眠っている細胞が細胞レベルで活性化して眠りから覚めて、遂に、自己の能力に気づいて、動き始める。自分の人生を諦めかけている者も、この氣功による未開発能力覚醒に気づくと自分の努力を惜しまなくなり、残る人生の中で、再度挑戦したくなるのである。未だにあなたの人生は終わってはいない。死ぬ迄に、もう一度花を咲かせることは出来る。諦めない事である。

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