尤氏意拳の大義

恥の無い尤氏意拳を私が問題視していることはたった二点である。公開質問状に送りもし、太田氣功道場のホームページにも掲載して、尤氏意拳の生徒にも本名神田吉隆創始総師範に聞いてみるように促したのではあったが、一切の答えや反応がない。その二点を説明しよう。

其の一、私が、滅多に初対面の人間には会わない、特に東洋人には警戒して、嫌がって、会う事はないところを、私の息子と言う触れ込みで、お会いしていただいたのであった。神田吉隆が私の家に一カ月滞在中で、たったの二回であった。私が日本に帰国前に神田吉隆のホームページを覗いて見ると、師母と苛酷な訓練を数年間、敢行して日本に戻ったと書いてある。開いた口が塞がらない。たった二回面談した事が、数年間の苛酷な訓練を受けたモノにすり替わっている。この神田吉隆の歪んだ人間性が理解出来たのはこれが最初である。それまで私を騙していたのである。その後に、少しづつ、道場生と神田吉隆を通さずにコンタクトを取って、全体の事情を理解出来たのであった。任命して、事情を知らなかった私の不徳である。カネの不祥事が発覚してからは、いかに幕を引くか?と考えて、夫婦共に考えに考えて、私の名を使い、大借金をしていたので、もう二度と私の太田の名の使用禁止、それに道場は私に相談もなく、閉めていたのに、これからは何処かの公園でやって行くとの話で、もうこれ以上、恥を晒すことはみっともないから神意拳を名乗ることは辞めようと言えば、態度が豹変する。まるでヤクザだ。脅迫めいた態度で私が隠していることをひとつひとつ言っていくと言う。私が隠していることなどは何もない。神田吉隆が私が病気で病院に運ばれた事を嫌がって、私をなじり、利権保持の為に隠していたのは神田吉隆なのである。私のドクター尤と師母は病気で亡くなった事を知らないらしい。どんな氣功の大先生でも、老いて病にかかって死ぬことはあたり前のことが理解出来ないらしい。自分が、私を出汁に使って、氣功武術の超大先生になって道場乗っ取りの計画がフイになるから、ヒステリックで感情的になったのだ。私を神様のように道場生に説明して、私を御簾のうちに隠して、自分が、私と道場生の間に入って両方に嘘を言い、自分だけが、うまい汁を吸っていただけの話である。私の名を使えばカネが手に入る。そんな情け無い事が神田吉隆の大義であった。では、今の尤氏意拳は何の大義があるのであろう?大義などというたいそうなモノは何もない。ただ生活費が欲しいだけが、理由で人にオファー出来るモノは何もない。二回の面会を数年の苛酷な訓練と嘘をつく。習ってもいない勁空勁を受け継いだと言う。では、私を満足させていただきたいものである。一般に公開してもらいたい。私の勁空勁と比較して見よう。すぐに有料で勁空勁の動画をホームページに掲載するから料金を払って見てもらいたい。私の強くて重い、進化した勁空勁が見られるであろう。私の道場生が壁にぶちあたり、ジャンプ出来なくなって床に這い蹲るさまを見ることができる。軽いモノを持っても、重くて重くてしょうがない。

私の氣が更に、重くなっているのである。秘密を言ってしまった。そう、我々の世界では氣を下ろすことが肝腎だ。だから站椿をするのである。私は帰国以来、情報を全て開示して全てを新入門から教えて、早く、上達して欲しい一念で指導に当たっている。私の太田氣功道場の大義がそれで、更に、全ての日本人がこの類いまれな氣功を訓練して健康で幸せになってもらいたいと言うのがもう一つの大義である。