春の瞑想

あれだけ寒かった冬も終わり、暖かい春の季節が訪れて、瞑想に適した季節になった。冬場も休まず瞑想はしてはいたが、あのいつも温度が変わらないベイエリア、サンフランシスコに四十年以上住んだ身の私には日本の冬はキツイものだ。従って、春半袖で瞑想出来ることはありがたいことである。ほんの少し窓を開けて深夜の静寂と清浄な氣と一体化する時の何にも換え難い安心感と感覚は毎日の私の宝物なのである。瞑想の効果は皮膚や目にスグ表れる。皮膚は赤ン坊のようにツルツルとして、スベスベになって、自分で触ってもビックリする。目は白目の部分がますます白くなって、赤みがかっていた白眼は白く、光輝いて、神( Shen, シェン)が強くなって来る。瞑想に良い春の気候は天からのプレゼントなのだ。ありがたい。瞑想の後は陰の氣がチャージされて元気一杯になる。氣が増幅されるのだ。この毎日の瞑想が私が練習と講習会で使う氣の源になる。私は座禅、私の指導員は立禅の日課となっている。脚の痛みが無ければ立禅もするが、現在出来る範囲内で全力を尽くすのである。私の氣はすでに、丹田に降りているので上に上がらぬように常に氣を降ろして置くのは氣功家として氣功を教授する者として当然のことである。最近治療を依頼されることがあるが、患者の症状を聞くと、治療を受けて逆に悪化していることが多い。治療師のクレンジングが足りずに、前の患者の邪気が残り、その邪気を貰ってしまうのだ。その邪気を取り払うには瞑想が重要である。治療師も患者もお互い瞑想して、邪気をあげない、貰わないのが重要なのである。