氣功は科学である

氣功は古代中国で生まれた。古代中国人は事象の観察に優れていた。さまざまな事象の裏に潜むチカラ、エネルギーを氣と呼んだ。東洋医学の生薬、漢方や鍼灸の陰陽五行説も易の陰陽から始まったのである。私は尤氏長寿養生功を学び始めた時から医学的な立場からこの氣功を客観的に眺めて、観察と実験を絶えず繰り返して来た。1987年からスタートして既に三十年が経つ。私が超一流の科学者と尊敬する天文物理学者の鈴木さんは、私より年下であるが物事を常に客観的に科学的根拠に捉える理性と知性の日本人の好青年である。あるテレビ番組で会った、また自称科学者という自己の幼児体験した墓場での火の玉の怪しい研究をしているという感情的で頭の良くない大学教授は口を開けば、科学、科学と言って、私が氣功でヒトを飛ばす、コントロールする氣のエネルギーを計測不能だから科学的根拠がない、信じられない、胡散臭いと言って、私を罵倒したが、とてもじゃないが、火の玉を研究する、それこそ胡散臭い自称科学者に、そんなことは言われたくない。この自称科学者、大教授は宇宙の存在する物質やエネルギーが96パーセントが、いわゆる、計測不能のものであることを知らないらしい。宇宙空間に存在するものの内、たった4パーセントしか現在の地球物理学で説明出来ないことをどう説明するのであろうか?科学というものは、現在進行形で、今の科学のレベルで計測不能な事象もあと三十年から百年すれば計測可能になるのかも知れぬ。何と傲慢な科学者であろう。自称科学者だから、鈴木さんのようなノーベル賞を狙う科学者と比較するのは無理だろうが、超一流の科学者ほど謙虚で爽やかで理性的で知性豊かだ。火の玉の研究ではノーベル賞はムリだろう。氣功武術家の私を霊能者と思っていたらしい。私からすれば、この怪しい科学者こそが霊能者ではないかと思った。私は氣功のエネルギーを観察と実験の繰り返しで三十年研究して、ついに氣のエネルギーが宇宙空間に存在するダークマターダークエネルギーではないかと仮説を立てたのである。科学的思考はその仮説を証明して初めて氣がダークマターダークエネルギーであると言える。これは私の直感である。これまで科学は人間が直感的に感じた説を証明して初めて科学の進歩発展があった。ダークマターダークエネルギーは目に見えない。氣も目には見えず、今の科学のレベルでは計測不能なだけなのだ。計測不能だから存在しないというものは科学的態度ではないのは以上でもって理解出来るがこの火の玉大教授は計測不能だから存在しないと言っている。これで氣功は科学であると私は思うのである。不思議なものだ。科学的だという科学者こそが霊能者で、胡散臭いと罵倒される私が科学者であった。みなさんは何と思うだろうか?