大義と哲学

 

宝寿会尤氏長寿養生功、太田氣功道場の大義哲学は日本人全員がこれからの時代、百歳を超えて生き抜く、強い精神と肉体を修練と瞑想によって培い、日本人全体の健康長寿を通して日本の国力を増すという、新しい愛国と東洋、日本文化への愛の運動となる努力をするものなのです。さらに、真の理想の武術を通して、現代において、サムライの心を取り戻す、良い意味での復古運動なのです。しかし、戦前の軍や国策に利用されるような武術ではない。健全な肉体と日本独特のサムライの心を養成する手段である。一部の人間や資本家や軍に利用されるようなシステムを我々の瞑想で培った賢明な目でもって、監視して、我々が利用されない理想の新武術団体を作らねばならない。武術団体のトップやその家族が権威権力を持って、武術に憧れて集まる道場生を暗黙の強制で縛り付けて奴隷のように扱う。そんな不条理な関係を見直し、排除する、智慧と理性と人間性を持って、道場生主体の、道場生ファーストの武術団体にする。日本人全体、日本人全員に益して利する理想の新しい武術団体にする。深い瞑想による理性と人間性、脳の変革で、これまであった武術文化を改造改革する。そんな新しい気運とと気概を持ちたいと考える。トップに座する武術団体の始祖、武術家は、自称十段、最高位とされている。私の五十年に及ぶ、私の経験では、そんな者はいない。トップだろうが、最高位だろうが、一人の武の完成を目指す一人の武術家、一人のサムライである。死ぬまで修行するのが武術家の本懐である。それなのに、修行が終わったとして、宗家創始総師範と名乗る自称武術家の多いのが現実である。我々はそんな武術家や団体になることを拒否するものである。死ぬまで修行は終わらない。まして、百まで生きようとすれば、当然のことである。月謝が楽に集まることを奇貨として商売するニセ武術家もいる。そんな武術家は武術をする資格すらない。我々の目的はただひとつ。健康長寿である。武術の基礎訓練を行うことで健康で長寿になることを思えば、毎日、細く長く、長い年月の間訓練するしかない。権威権力を持つことには興味はない。朝晩の瞑想と練習日の氣の交流で、また飛躍的に氣のレベルをアップさせる。この繰り返しである。この果てしない修行が身体を強健にして、精神を浄化し、さらなる自己の変革をもたらすのである。このことを日課として、日常として、行うことが、真の理想の武術なのである。突きや蹴りを繰り返すことが、真の武術修行ではない。東洋の筋肉の鍛え方は、ダンベルやバーベルを使うトレーニングではない。自分の体重をバーベルの代用にして、繰り返し毎日行い、氣を養うことである。氣の体は奇蹟的な働きをする。ケガをしてもトカゲの尻尾のような再生能力が生まれ、病気で ICU  に入っても、生きて生還する。これは私の経験によって、確かめている。氣を訓練すると不死身になって病気もしなければ、死にもしないと考えるのは、バカで浅はかな考えである。私の師欧陽敏師母は百を超えて亡くなったが、氣の師匠が病気もしなければ、死にもしないと期待するのは愚かだ。アホな自称武術家の常な事であるので、もう癪にもならない。この現代の理想の武術、武術家像とサムライ像を頭に描き、理想の武術団体を一緒に作ろうではないか。

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