読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

勁空勁のコツ其の二

三十年ほど前に、私が日本のテレビ局に呼ばれて、この氣功の勁空勁を見せた時、たまたま日本が超能力ブームで、ある超能力者が私がやっているワザを隣りでジーッと見ていて、次の日だったか別のテレビ局の人気番組で同じようにはい、目を見て、目を見て、と空勁のワザをしているのを、私が偶然見てしまった。一回見ただけのワザを自分でも出来るとしてテレビの前でやってしまう、盗っ人根性丸出しの人の前に出たがりの超能力者であった。勿論、勁空勁は同じモノでは無く、チョットバランスを崩しただけのモノではあった。武術として、過酷な、それこそホントに過酷な、訓練修練を積んだ末に習得したものをたった一度見ただけで、こんなにも簡単に浅ましくマネをする。今、尤氏意拳と名乗る創始宗家も同じように勁空勁を見せたりしているが超能力者同様、似て非なるモノである。中国一、世界一の尤氏長寿養生功が一度や二度見たりやって見ただけで出来るモノならば、余りに簡単過ぎはしないか?神拳と言われて半世紀経つモノがそんなに簡単であさましい人間達にマネされて出来るモノなのであろうか?

実は、これには、私に原因がある。私が初めて出会った人間を投げるにはどうすれば?、と日夜考えて、世界を飛び回って、私の肩を押させて、投げたり、コントロールしたりしたものをグッとレベルを落とし誰でも出来るようにやり方を開発、私が考案したものである。氣を充分に貯めてから押して貰えばもちろん出来ることではあるがこの愚かな人間達は習おうとしないので、過酷な訓練修練を積んで研究しないので、結果はそのまま実力相応の姿が如実に出てしまう。あたり前のことである。一つだけ私が確実に言えることは、こんな軽蔑すべきあさましい者達は武術や文化を好きではない。愛していない。愛しているモノは人前に出たがりの自己顕示欲と自分の実力をベースにしないカネ儲けである。超能力も自称私は武術の宗家もそんな興醒めのオトコ達の遊びのようなモノである。そんなシロモノと一緒には、同等にされたくはない。それでは私の三十年の血と汗と涙の修練がどうなってしまうのか?冗談ではない。人生を賭けて、再生の道と心に決めた修行がこんな軽蔑すべきあさましい者達に台無しにされてしまう。本題の勁空勁のコツに戻るが、目を見ることである。その意味は相手の氣をつなぐ一つの手段だからである。お互いがその努力があって出来るものなのである。一方的にする出来るものではないのだ。相手が繋がり、 connection    を切ってしまえば、それまでである。これが修行体系になっている。勁空勁は修行の結果として出てくる現象で、決して人前で見せる見せ物ではないのだ。私が当時氣功を説明するに口でいくら説明しても理解してもらえないので、誰にも分かる形にしたのが皆さんがテレビで見たことである。それで、テレビ局が、視聴率を上げようともっと過激にインパクトのある番組にと格闘家やボクシングの世界チャンピオンとの氣の交流の名を借りた対戦にエスカレートしていく。私が出来ても、私がやられてもテレビ局の面白い番組にはなる。幸い、私の成功率は驚くほど高かった。最終的には、アメリカの黒人のアメフットの冷蔵庫サイズの選手を触らずにコントロールさせられるハメになる。この頃には、私の氣は進化して、ずっと重く、ずっと強くなっていたので、時間はかかったが、空勁は出来たのであった。初めて出会った人間には勁空勁は出来ないと言った方が正しい。しかし、不可能ではない。今私が進んでいる道は、初めて出会った人間に百パーセント出来る勁空勁である。今現在、百パーセントに限りなく、近づいている。修行の成果が、修行が実を結び始めている。