言葉はいらない其の二

尤氏長寿養生功は私の体験を道場生に同じ体験を味わってもらうように毎日苦心惨憺して考えている。一方のあの忌まわしい尤氏意拳の宗家創始総師範は私のようには自分の体験を持ってないので、ホームページには何も書く事は無いから読んでも心には何も響いて来ない。カラッポなのである。あたりまえだ。言葉の羅列で抽象的な内容だ。全て借りものでウソと虚偽だから訴えるものがないのである。自分でも理解していない神話の話しを持って来たり、聞きかじった他人の説のマネと二番煎じをしてお茶を濁している。何の内容をもって、宗家創始総師範と自分を呼んでいるのかさっぱりわからない。宗家を辞書で調べてもいない。日本拳法を教えたいのか、尤氏長寿養生功を教えたいのか、大本教を教えたいのか

わからない。体験が何もないからだ。中身のないものは教えるのには、多くの言葉が必要である。ウソと虚偽だからだ。

日本拳法の宗家は別にいる。尤氏意拳の宗家はドクター尤である。大本教の教祖は出口家である。それなのに宗家創始総師範とは何ごとであろう?勁空勁を満足に出来ないで何を気取ってるのであろう。ペラペラの紙の様な人間だから、余計にウソや虚偽でパッチワークをせねばやってけないか?いつこの人間の正体を明かしてやろうか?不誠実と虚偽でニセの仮面をかぶっている。体験をするだけの根性も無い。大学を受ける学力も無い。海外へ行って独力で人生を開く勇気や度胸も無い。道場生に謝罪することも出来ない。何を独力で出来るのであろうか?そんな人間が宗家創始総師範になって何を教えるのか?自分の分以上の言葉を使い、ありもしない体験をして来たように誇張してウソついて、何を教えるのであろう?もう一度言う。言葉はいらない。体験が全てなのである。