元ボクシング世界チャンピオン

お笑いタレントの成功物語については前述のブログ記事に掲載した。今回は失敗例と言うか、氣が逆に本人の悪い資質に働きかけて、自分の意志とは裏腹に人生の成功に結びつかなかった例を挙げてみよう。私が堺の道場を開いてすぐだったかその頃にあるテレビ番組で私のことが取り上げられて、元ボクシング世界チャンピオンと対戦させられる形で氣の交流をさせられた時のことである。このボクサーは最初、氣のことは何も情報がないので私の氣功をバカにして、そんな触らないで人が倒れたらボクシングをやる意味がないとまくし立てていた。手に氣を感じた彼にじゃあ思い切って両肩を押してみてください、と言って、タイミングを見計らって、発勁をしたところ、もんどり打って床に倒れたのであった。その後にいろいろ話をして、そんなには悪い人ではないなと思ったのであったが、もう一度ボクシングにカムバックしたい様なことも言っていたので、その時は氣のトレーニングと瞑想を教えてお手伝いして差し上げようと思っていたが、大分時間が経って、新聞に恐喝で起訴されて刑務所に収監されたことを知ったのである。彼はボクシング世界チャンピオンであっても、気が良くて、利用されてしまったのだろうなと私には思われたのである。また、私がいつも糾弾している神田真澄こと神田吉隆ことカネだ吉隆はその上手く隠していた角と牙を私が日本を留守にしている間に乗っ取って、私の名前を使って、私にすり替わってカネをしこたま儲けて、同時にテレビ番組に出演して、有名になってやろうという野望を持ったのである。このカネだ吉隆のように、本人がいくら隠しても、心の大半が汚れた野心であれば、氣によって引き出されてしまう。ボクサーは周りにたむろする友人よりも氣が弱かったと見える。カネだはもともと心はネジ曲がっていて有名になりたい野心が自制できぬほど強かったのである。氣を訓練することは良いも悪いもどちらにも働きかける。純粋、純心に綺麗な心で修練すると顔も綺麗になって成功に導かれる。邪な心を持ったままで修練すると悪い結果になる。実に怖いものなのである。カネだ、カネだの吉隆はその通り、カネで失敗した。嘘をつく心を自制せぬから、いつまでたっても嘘をつく。有名になりたい心は焦り、さまざまな失敗をする。二回の師母との面会を数年間の過酷な訓練の時間との嘘になる。当然、傲慢となって、おじさんに仮にも一時期師匠である私を「あいつ」などと言うんじゃない、とたしなめられて、その余りの人間性の酷さに勘当同然となっている。このように氣を受けて、あるいは邪心を持って氣功を修練してこんな悪い結果となる事を我々氣功の用語で、偏差と呼ぶ。一旦こうなった場合、余程の反省と自省を持って元に戻ろうとしなければ、元の自分に戻ることはむづかしい。己れの分を見極めることも出来なくなって、ドクター尤老師の名前まで使用して、神様まで引っ張り出して、自分の格上げに利用してしまうのだ。我欲と野望と野心は自制して瞑想して取り除くことが肝腎である。