貧富貴賤のこと

人生において、貧富の差は一生懸命に働けば差は縮めることはそんなに難しいことではないように思われる。しかし、貴賤の差は少し違うようだ。貴く生きる、誇りを持って生きることは、正直に誠実にウソ偽りのない人生ではないか?そして、賎しく生きることはウソ偽りの人生と直結する。富んでいても賤しく生きる者もいるし貧しくても貴く生きる者もいる。どれを選ぶかは全て我々のチョイスである。私の人生は決して物や金が豊かなものではない。でも賤しく生きてきた覚えはない。日本での経験、アメリカの経験を振り返ると金はあっても賤しく生きている者のオンパレードであった。

貴く生きる者は少ない。私はこの素晴らしい尤氏長寿養生功に出会って、貧しくても貴く豊かに生きることを学んだ。尤氏長寿養生功の内容自体が豊かで貴いからである。ザビエルが昔来日した折はどんな貧しい日本人でも、立ち居振る舞いは貴族のようであったとイエズス会に手紙を書いている。このように日本人は特殊な特別の生き方、人生を歩む民族であると思われる。最近世の中を騒がす事件は金がらみのものである。いつになればこの負の金の連鎖は止まるのであろうか?大勢の日本人が少数の日本人に騙されて、カネを取られている。ザビエル時代の貧しい日本人はきっと驚くだろう。現代の日本人は昔の日本人の爪の垢を煎じて飲まないといけないようである。