人生を豊かに生きる知足の哲学

貧富貴賤の話しはした。豊かさを勘違いして金品がたくさんあることを豊かだと考えている者に忠告したい。特に、道場生からカネをむしり取るように供出させて、私の名を語り、九百万円の大借金をして、返済を拒んで逃げ回っている

神田真澄こと神田吉隆ことカネだ吉隆こと姜吉隆にこのブログ記事を贈りたい。豊かに生きるとは金品をたくさん持って、生きることではない。富を得て貧しく生きる者は、真に豊かには生きていない。真に豊かに生きる者は貧しくとも、精神的に貴く、豊かに生きている。富を得ても得ても満足出来ぬ者は心が餓えている。心が満足出来ずに盗んでも奪おうとするだろう。嘘をついても手に入れようとするだろう。どこまでいっても、足るを知ることはない。知足の智慧がない。愚かで、貪欲だ。真に豊かに生きる者はそんな愚かなことはしない。自分の稼ぎの中、範囲内で、精一杯人生を楽しむのである。

決して贅沢出来る生活ではないかも知れぬ。しかし、高級車高級靴などを望まない。足るを知っている。知足は智慧である。愚かな貪欲で一時の満足を得る為に手に入れた金品は氷のように消えてなくなることを知らないことは愚かで智慧のない行為である。真に豊かに生きる者は一時的な金品よりも長く永遠に他人と自分に役立つものを選んで努力する。この尤氏長寿養生功がそれである。神田真澄ことカネだ吉隆は私の名を使って、カネと一時的な名声は得たかも知れぬが、嘘と虚偽で得たカネと名声も氷のように消えてなくなる。豊かに生きる意味を理解していない。このようにして、誇りを捨てて、富を選んだら、掴んだものは恥であった。恥を引きずって生きることは、

貧しく生きることである。カネ持ちになって、豊かに生きようとした愚か者は

貧しく生きている。私は金品はたくさん無いが、他人を癒したり、投げ飛ばす氣はたくさん持っている。たくさんの人たちに良い影響を与えることが出来る。

私は日本に帰国以来、幸せを感じて、今は世界一の幸せ者であると思っている。

何をしても何処に居ても、嬉しい。楽しい。幸せだ。精神的に豊かに感じている。氣を持っているからである。氣をお金に換算したら、私は日本で一番の大金持ちである。何があっても怖くない。余裕がある。しかも、氣は宇宙に無尽蔵にあって、瞑想するとタダで貰えるのである。私はこの宇宙にある銀行に気づいた。面倒ないわゆる銀行の手続きは何も要らない。瞑想するだけで貴重な氣、お金を好きなだけ貰える。担保も要らない。 Good Deal である。こんな風に考えて、幸せに生きている私は、人生を豊かに生きているとは思わないだろうか?