男の嫉妬

私の経験から感じることを考えて書き記したい。あの賤しい尤氏意拳の宗家創始総師範の神田真澄ことカネだ吉隆は私に対する嫉妬心から私のやることなすこと全てが、羨ましく、うらめしくて、どうしようもなく、私のクルマ、家、時計、洋服など同じものが欲しくて、欲しくて堪らずに、真似することで自分の欲望を満たすやり方をしていたとしか思えない。こいつの他にも嫉妬を私に持つ男はいたのであった。私にして見れば、私の何に嫉妬するのかわからない。一般の人より裕福でなくて蓄えも少なく、唯一私の自慢出来るモノは、師母から厳しく過酷な訓練をして習った氣功のワザだけである。何を嫉妬しているのであろうか?

もし、氣功のワザに嫉妬しているならば、師母に願い出て、月謝を払って訓練すれば良かっただけの話である。それでは、私の全てがのっとりの対象であったか?男の嫉妬は汚なく、見苦しく、洋の東西に関わらず, 存在する。師母の道場に通っていた時も、男の白人、中国人も私が毎日道場に通っているのに刺激されて、通う回数を増やして、懸命に訓練する私にちょっかいを出して練習の邪魔して私の練習方法にケチをつける。当然そんな馬鹿者と話はせずに師母との訓練に集中する。そのうち私に二人グルになって後ろから前から捕まえて動けなくしたりする。だんだんと私の堪忍袋のヒモが緩み、怒りが込み上げて来て、二人一緒にやっつける機会を伺う。一人は脾腹を蹴り上げて気絶させ、一人の尻も思い切り蹴り上げてやった。こんな者には容赦は禁物だ。私が床に仰向けに寝て休んでいると顔に水をかけられた時もあった。お返しに手首を力の限りに捻って投げ飛ばしてやってそれでも手を放さずに顔を蹴るジェスチャーをしてやった百キロ近い白人のコンフウの先生もいた。全て嫉妬である。アメリカ人は心が幼稚で自分の感情の抑制が出来ない。そんな時は大人であっても、武術家であっても、態度行動は幼稚で見苦しい。日本の武術家武道家も例外ではない。私の持つものを見苦しくも奪っていった私の師匠で指導者もいる。もはや犯罪者である。信じられない話ではあるが、武術家武道家と嫉妬は切っても切れない関係にあるらしい。そんな馬鹿者が瞑想を教えて新武術を立ち上げたという。ホンモノが嫉妬をすることは全くあり得ない。ニセモノであるから、人間がニセモノであるから、ホンモノに嫉妬する、こうとでも思わなければ、論理的な説明がつかない。今、実に講習会参加者との氣の交流の成功率はほぼ百パーセントに近づいている。こんなくだらない嫉妬に負けず、次回の講習会では成功率

 

百パーセントを目指して毎日の修練に励んでいる。