学歴と人間性

このハゲー!と歳上の秘書に罵声を浴びせた国会議員は東大出身で、自分をまるで、日本社会の上流階級の特別な人間で、ハーバード大学にも留学した才女と思っていたらしい。私にも同じような経験がある。またもや、ハーバード大学卒業のアメリカ人であったが、 I C U  時代に知りあった者である。この最低の人間性国会議員のようには罵声を浴びせたりはしなかったが、昔のよしみで、少林寺拳法道場の顧問か何かの役職をお願いしたところ、友人と思ってした要請は自分の社会的な高い立場を利用しての要請には答えられないとの傲慢傍若無人の回答であった。大学時代のあけすけな友人関係も社会に出ると利害関係で人を見てしまうのであろうか?また利害と利用の契約をベースにしての人間関係であろうか?私は彼を利用するなどの下心は何もない。ただ、ただ、久しぶりに彼の名を発見して懐かしく思っただけの話である。高学歴と人間性は一致しないようである。学歴のない掃除をするおばさんの方が人格的に立派で、話がなめらかで角がない女性もいる。こんなおばさんとはすぐ気心が知れて、お友達になってしまう。決して東大出身ではない。また、東大中退であっても、アメリカの大学に入り直して、ノーベル賞を狙う科学者は、

私のような野にいる人間とも気さくに付き合ってくれる人もいる。勉強をたくさんして立派な肩書きを持つことと人間性を開発して、他人を不快にしない生き方をすることは別物である。もちろん、学歴もない人間性もない者は最低以下のシロモノであるが、せめて東大にはいかないまでも、人間としての最低のルールは守って欲しいものである。嘘はつかない。借金は返済するなどの社会人としての最低のルールである。尤氏意拳の宗家創始総師範の大先生のことを言っている。人間性のない者がどうやって、人間性開発の武術を教えるのであろう?