自分を生きる

本来の自分の人生を生きる者は幸せになれる。若い内は本当の自分が何をしたいのか分からない。自分が欲する職業や

カネが儲かることに惑わされて好きでもない仕事をしてしまう。定年退職後に

ずっとやりたかった趣味に熱中して、

プロ並みの腕前になる人もいる。

人間の持つ能力を開花させる可能性は

非常に低いが、怠けないで、コツコツと努力していれば、必ず、努力した分だけ

報われる。世の中の超一流、一流の

スポーツ選手、スポーツに限らずとも、

見渡せばいくらでも探す事は出来る。

私は師母の下で他の道場生が週一で練習するところを、週七日練習に行った。しかも一日二回行った。月謝も当然、他の道場生より倍も五倍も支払った。他の道場生は私にお前はカネ持ちだから、出来るんだ、と嫉妬心を剥き出しにして、

私に言って来た者も居たけども、私は

ヘッチャラだった。当たり前だ。

世界で一番の最高の武術、最高の氣功を教えている師母を目の前にして、毎日、

習いに行かない者の方がどうかしてる

しかもカネの問題ではない。むしろ安い買い物であると思った。払えるものならば、

もっと払いたかったほどである。

これこそが私の本当にしたかった事を

遂に見つけたと言う思いでワクワクして

練習に行ったことを今、思い出す。

そんな時でもこれを職業にして教えようとはこれっぽっちも思っていなかった。いろいろな右往曲折があって、大好きな日本に帰国して、人生をかけて学んだ尤氏長寿養生功を日本で教えられて、今、私は幸せの

絶頂にある。今でも悩まされる問題を抱えているが、幸せの方が問題より大きいので、問題が問題にはならない。

本当の自分の人生を生きていない尤氏意拳の神田真澄ことカネだよ吉隆は幸せであるはずはない。嘘と虚偽の人生を生きている。これでは良い武術家にはならないし、また瞑想家など及びもつかない

話である。こんなオトコの話はさておき、自分の能力を開花させるのは自分の

責任と努力である。私は尤氏長寿養生功を学ぶに自分に才能があったとは思えない。劣る才能をカバーするのには努力しかないと悟って自分を納得させたのである。覚悟を決めたのである。そこから先は私は狂ったように訓練をした。周りの人間が驚き始めて師母の「不好、プーハオ」

が「好、ハオ」に変わったのは三年後だったか、五年後であったか、良く覚えてない。が、ある時を境に師母の私に対する態度がすっかり変わったこと

だけは、覚えている。

そこからは、私も図々しくなって、師母の肩を抱いて冗談の一つも言えるようになっていた。あれほど怖ろしくて恐い師母はまるで家族のように私を受け入れてくれたのである。このように頑張って、

努力さえしていれば、こんなオマケまで

ついて来る。まさに自分を生きることは努力の結果であり、努力勤勉は自分の人生を生きることの陰の応援者であって、本当の自分を作る土台である。もう一度言いたい。本当の自分を生きている今が、私の人生の中で一番幸せである。