感謝
私がこの在日コリアンボクサーから、
学ぶことはたくさんある。
なぜパッキャオとの壮絶な殴り合いの
後に介護士になって、日本の社会に
貢献したいと思ったのか?
良く考えて見た。感謝であったのだ。
チビの在日コリアンとバカにされて、
数限りなく殴られて、殴り返す勇気もなかった自分が、地獄のような練習を
積み重ねて、ついには、自分をバカに
した者、日本人を殴り返す勇気は
幼少期にはなかったが、最強のボクサー、パッキャオと試合しても引けを取らない。何遍殴られても、立ち続けた。
倒れなかったんだ。と、自分の強さを
自覚した。試合後、心の底からフツフツ
と感謝が沸き起こったのである。
幼少期に差別された、殴られた人間に、差別されてチビの在日コリアンと言われた日本人に、今の自分を作ってくれた、
一木一草、石ころでさえ、毎朝早く起きて走った神戸の街と道も、通りすがりのオッチャン、オバチャンも全て、感謝せざるを得ない。自分をボコボコにした
パッキャオにも憎く思えない。むしろ、感謝の念でいっぱいだ。人間は自分の
強さを自覚した後には、感謝の念が
フツフツと沸き起こり、何かそのお返しとして、他人には自分の強さの分だけ、
優しくできる。又、お前なんかが!と言われてしまうが、私にも同じような
経験がある。パッキャオとは比較にはならないが、私にとってのパッキャオは
師母との訓練であった。五年も十年も先に習っている先輩道場生に追いつくことはとても、とても困難で追い抜くことなどは、夢の又夢だった。毎日師母に会い、練習するしか方法はないと悟った私は一日二回練習に行った。師母の車での送り迎えも買って出た。三年五年して、私の愛車を乗り潰してしまった。
最強のバスケットシューズのエアーナイキの靴底のエアーバッグも潰れた。
修行を全て終えた時、私のパッキャオと互角の殴り合いを終えた時、私をここまで導いてくれたものと人、関わりのある全て、私を日本人だからと差別した
人間にも感謝の念でいっぱいになった。
そして、どうせ、この深くなった私の気持ちを伝えるなら日本に、日本人に
教えてあげようと思ったのである。
子どもが何か手にいっぱい持っていたら、他にも譲ってあげようとする気持ちのようなものであろうか?自分一人にしまっておくのが勿体なかった。こんなに
美味しくて、こんなに良いものなんだよ、と言う赤子のような心であったと
思う。この在日コリアンボクサーは
こんな自分の感謝の念を介護士になって、日本の社会に貢献する形で、現している。精神的に成長して、立派に、
堂々と日本の社会を生きている。