神の微笑み

先回の記事で苦難困難を嘘や虚偽無くして真っ当に乗り越えた者は幸せであると言った。苦難困難を真正面から、真っ正直に立ち向かい、傷を負いながらも、解決した者には神が、天が、宇宙が微笑んでくれる。小さい幼少期の頃は、母親が喜んでくれるから、微笑んでくれるから、小さな手で、小さな身体でいろいろなものを成し遂げて、お母さん、見てえ、と言ったように、頭を撫でてもらうとすごく嬉しくて、次はもっと頑張ろうと思うように、神、天、宇宙は、我々

が頑張った分だけご褒美をくれるのである。神が微笑みを向ける時は、ものごとがとてもむづかしく、難解で、時間がかかり、多くの努力勤勉精進が必要で、

それを達成した時の達成感と成し遂げた

安心感と次へのさらなる目標への

期待感などの希望に満ち溢れる満足感

に心は高揚して、多幸感に浸ることができる。まさに神の微笑みは母親の愛情のようなもので、微笑みを向けられた経験のある者はさらなる試練もまた同じような努力精進で乗り越えられる。また、

私ごとで僭越であるが、私は神に微笑んでもらった経験が何度かある。歳を重ねるとそんなことは誰でも経験するはずだ。私だけではないと思う。特にこの尤氏長寿養生功を習い始めてから、瞑想を毎日行うようになってから、神の微笑みを何度か見ている。不思議なことだ。

そして、今、家族を持って、愛する人がいて、毎日を過ごしているならば、

神の微笑みは愛する人の微笑みと家族の

微笑みとなっているかもしれない。

どっちにしても、その微笑みがあるから、次も頑張ろうと思えるはずである。

私は最愛の妻を亡くしてしまったので、私の家族はいない。瞑想の際の氣の交流の対象は神、天、宇宙である。瞑想が

上手くいった時は、とてつもなく、気持ちが良い。まさに天にも登る心地がする。これも神の微笑みであろう。

自分がやり遂げた分だけご褒美が

もらえるのである。どんな時も、どんな状況に陥っても、神、天、宇宙は私の側にいてくれるのが分かってからは、いつも安心で、何かあった時は、目を閉じて呼吸を整えて、瞑想するだけで、神、天、宇宙と繋がるので、不安や心配は無い。自分ながら、良いこと、特別なことを習ったと感謝せざるを得ない。