文質彬彬 ぶんしつひんひん
文質彬彬とは論語からの言葉である。
文は見た目のこと、質は中身のこと、彬彬は釣り合いの取れていることだ。
すなわち、外見と内面がバランスが取れていることだ。私がこれまでの人生で、武術の世界の人間は文質彬彬ではなかった。内面がカラッポな割に外面が
バランスが取れていないほどに外ヅラが
良くて口が上手だ。
私の理想とするは文質彬彬である。素朴で飾らない、知性と教養が
滲み出てくる人柄である。論語には
勉強になる言葉がたくさんある。
カネばかり欲しがる武術家は、外面を高級なもので飾り、内面を磨くことはないようだ。私がこれまで知って来たこんなダメ武術家は多かった。口は驚くほど
達者で、大勢の人間が騙される。
そんな武術家はみんな私の反面教師で、教師であるから、習うことは多い。
彼らのようにはなりたくない。
尤氏長寿養生功では、道場生と指導者の垣根は無いのに等しく、段位制度も設けていない。段位制度を設けるとどうしても上下関係が出来て、上の者は何を勘違いしてか、威張り散らすようになり、
道場内の雰囲気が悪くなる。知性や教養も無く、カッコだけの武術となる。
実力も伴わない。こんな武術は、私は
ごめんである。特に大学の体育会系の者に多い。アメリカでも経験がある。自分の強さばかり誇示する頭筋肉の武道家であった。そんな武術家とはとっくの昔に
縁を切り、その後は、そんな連中とは会うことも無いから、ストレスフリーの状態となった。何故、ワザを、技術を
磨いて、ワザを身につけて、楽しむこと
より、己れの強さばかり欲しがるのであろう?ワザにしても、また競争心を燃やして、自分の方がうまいとか、ある段位を最年少で取ったとか、またもや、
競争である。尤氏長寿養生功には競争が無い。平和で共存共栄共生を意識して
毎回の訓練を行う。もし競争する対象があるとすれば、私である。私を越えよといつも言っている。あるいは、自分の内に住む傲慢、怠惰など、武術修行に邪魔になるものである。
外面と内面の調和を取るのである。
文質彬彬である。