人生は素晴らしい
私は最近、私の人生を振り返り、人生
というものは素晴らしいものであると
思うようになった。私の生まれた家は、極貧で私の両親は共に明治生まれで、
特に母親は小学校も出ずに養女に出されて手に職をつけたけども、父と結婚して子供を四人も作り、生活は苦しく、
貧しかった。母親はそんな生活に疲れて
一番小さくて弱い私にやつあたりをするようになった。教育には無知無関心で
授業参観には誰も一度も来なかった。
当時の小学校中学校では戦争帰りの
元兵隊が先生であった。良く殴られた。
当時教科書は自費購入で、新学期の
時は私には教科書がない。買えなかった。給食も自費で払うが、払えたことはなかった。今でも思い出すが給食費が期日まで払えなくて、思い切り先生に
殴られたものである。中学校では、
良く先生に目をつけられて、ことあるごとに殴られた。ある時は竹の棒で、冬はストーブに使う小さなスコップで、
中学三年の時は、どう考えても、私が
悪いことでなくて、私だけが殴られて、
我慢出来ずに、他にもお前が殴らねばならない奴がもっとそこにいるだろう、
この野郎、と言ってやったアホ担任もいた。どうやって仕返ししてやろうか?
待ち伏せしてどう鬱憤を晴らすか、
寝ないで考えたこともある。こんなに殴られた理由は私のせいではない。私の
兄がちょっと不良で粗暴で良くケンカを
していたらしい。それでその弟ということでいつも目をつけられていた。私は
一念発起して猛勉強をして、当時一番と言われた受験校の高校に合格する。
高校ではさすがに貧乏だからとか、兄が
乱暴だからということでは殴る先生はいない。兄が高校へ行かなかったせいもある。殴っても、体格は先生と同じか
もっと大きいので、殴り返される。
男子生徒しかいない。私の故郷では、
特に高校はバンカラで、ケンカしても成績の優秀な者は優遇される風潮があって、ますます
勉学に励んだ。無学な両親の手から逃れるには勉学して東京に出るしかないと
幼少の頃から貧困の生活から抜け出すことを考えた。
そんな甲斐あって、大学に受かり、東京に出た。ひょんな経緯でアメリカに行くことになる。楽に在米生活をしていた訳ではない。さまざまなことがあって、
ついにドクター尤老師欧陽敏師母の
尤氏長寿養生功に出会い、本当に
過酷な修練の後、通氣の免許皆伝を受けて、2015年に日本に帰国する。
いつどこで死んでもおかしくないような、日本に戻るまでの行程であったが、無事、生まれた
日本に戻れて嬉しい限りである。
日本語の他にも英語はほぼ完璧に
話したり、聴けたり、書いたり出来るようになった。この世界に類を見ない氣功もマスターした。思えば、極貧、日本人への差別、私の永住権保持を利用される経験などを経て今がある。今まで関わった武術武道の中で
私がもっとも尊敬して大好きな尤氏長寿養生功を教授出来る立場になって、
いろいろな問題を抱えながらも、この氣功を教授出来る栄誉は私を幸せにして、この氣功を通じて、縁あって知り合える道場生は私の宝物となって、極貧から氣の長者となった。人生は素晴らしい。努力すれば、欲しいものは手に入り、なりたい者になれる。努力勤勉は人生を切り開く
パスワードであった。
人生は素晴らしい。