喜びは倍に悲しみは半分に
恥を忍んで、私の貧困とトラウマの半生を書かせてもらったが、私が貧困とトラウマの克服を尤氏長寿養生功に託したのは大恩ある師母が余りに無愛想、余りに厳しく、そしてその技法と瞑想が余りに
特殊で、挑戦するには困難であるが、同じ人間が、先輩道場生が、すでに存在しているので出来ないことではないと分析して、訓練修練を始めたのであった。
修練を始めてスグに中国人道場生の
、日本人に教えるな!の大合唱に、敢然と、師母がお前らはこの日本人に教えるなと言うが、こいつが毎日やって来て、上達するのを私が見て、どうやって、教えずにいられようか?と私とみんなの前で言い放った師母を私が見て、とても感動して感謝した。それから先は猛訓練を自分に課し、
その私の態度を見た師母と私の間に
愛が生まれた。今考えると、それは
もちろん、男女の愛であるはずはない。師弟愛である。頑張って、努力する者には教えようとする師母の意欲と期待に
私は、不思議にも、見事に答えた。
幼少の時に学校へ行っても、態度のおかしい先生は何も特別に私に関心を向けることも無かった。それに比べれば、私はこの師母の道場では特別扱いで、まるで、魚が水を得た状態であった。
私は来る日も来る日も、道場に通った。
休みはない。誕生日、クリスマス、
ナショナルホリデー、一日二回、五年間毎日通った。尤氏長寿養生功を学んで、私が
それまで持っていたトラウマの貧困と
母親との想い出は徐々に考えることも無くなり、その悲しみは半分になって、
喜びは倍になった。私の顔は生気に溢れて微笑みを浮かべるようになった。
二度目の結婚で妻は何時も、何笑ってんの?と言う。別に笑ってないよ、これが普通だよ、と言うが信じない。そう言えば、師母も顔がいつも笑っているようであった。人生に伴侶が出来ても、お互いに愛しあっていれば、悲しみは半分に、逆に喜びは二倍になる。
師母は例えば愛しい私の伴侶のような方であったと思う。
お互いに心良く愛しあっていたのだ。
師の愛と弟子の愛である。その愛の結晶
が太田氣功道場なのである。私は声を大
にして言いたい。尤氏長寿養生功は、
あなたの喜びを倍にして、悲しみを
半分にする!と。