其の三「自分」

1994年大阪で道場を開いた私は道場生が五百人近く集まり、私の懐は潤った。このころにある一家と知り合いになって、兄弟は何遍大学を受験しても合格しない。母親と姉は立派な方で、この二人の兄弟は異常な考えと感覚の持ち主であった。当時カネが足りずに大学へ行けないものと思い、母親と姉の二人を不憫に思って、私のカネと時間を相当にかけて救いの手を差し伸べた。一度は志望の大学受験を私がカネを払って受けさせた。受からない。翌年又受ける。又失敗する。母親は疲弊していた。兄だけで十年の浪人 である。もう大学に入れる力はないものと思い、別の志望学部にムリムリ変えさせる。やっと、やっと短大に進学する。合格後、大学の寮の入寮期限を調べてなかった。一事が万事であった。何をしても満足には事を運べない。怒りが込み上げて来て、言っておくべきことをハッキリ言うと  逆切れした。兄は私が用意した札束を床に投げつけた。卒業しても働かない。好きな職業がないと言う。弟は私の神意拳を習いたがった。強がりで見えっぱりで性格は兄より悪かった。意地が悪い。'いつも寄らば大樹'の陰'の哲学を持っていた。いつも得をしようとした。