其の二若き日の思い出

私の若き日には、呼吸法の人間との氣の交流はたくさんあって、彼らも人を飛ばすとのことで彼らも私の技量と氣のチカラを試したかったのである。

私は拒まなかった。望むところだ。相手が筑波大学の日本代表クラスの柔道家でも拒まなかった。勁で投げ飛ばして、空勁でコントロールした。私は自分の実力を知りたかった。日本ではどれほどのレベルなのか?どこまで使えるのか?武術家には?スポーツ選手には?

ある日、テレビ局であったと記憶しているが、私は呼吸法の人間達に囲まれた。異様な事態である。もちろん初対面である。私は尤氏長寿養生功の説明をして、

さあ、始めましょうと言って、手合わせの対気を始めた。彼らは私を飛ばそうと必死だ。私に臭い息を吹きかけて氣で吹き飛ばそうとするが、私は動かない。足は床にぴったりついたまま、ビクともしない。私を動かすには氣を上に上げようとしては、逆に彼らが上に上がり、私に投げられるお膳立てをしてしまう。彼らの足に私の氣が降りてしまい、足がバレリーナのようにつま先立って、足が、足が、と言う。私は交流する前からすでに分かっていた。最後にそのグループのリーダーとおぼしき男が出てきた。みんなに次お前行け!もっと氣を出せ!と口うるさく指示を出していた。さあ来いと私が誘って対気をすると足をつま先立たせて、情け無い格好になってしまった。

一番弱かった。また口数の多い口だけの人間だった。こんなことは序ノ口で、もっと手の込んだ交流もあった。氣の話をしていたら、氣で人を飛ばす時は身体の何処を使いますか?と聞くから、何処でも良いですよ、目を通して氣が良く出るので目でも投げられます、と言ったら、急に中国語で私にベラベラと話し始めた。私は中国語は出来ない。氣功の習得が精一杯でそんな暇は無い。一日の全ての氣力体力を使う。そんな余力は何処にも無い。この呼吸法の人間とは、これが最初で最後だった。習ったのは氣功でなくて中国語であったか?手合わせして本気で武術的にぶっ飛ばしてやろうかと思っていたけども、時間の都合で別れた。別れ際に私の肩などこっそり触って、私の氣のレベルを測っていたのには苦笑した。何処か近くに場所があったら、受け身が取れぬほどに投げてやろうかと本気で思っていた。今では、大人げないのでそんなことは思わなくなったが、若い時はいきり立つほどに元気なものである。この者達がもう一度私と交流すると足が、足が、ということでは済まなくなっている。今、進化を遂げた私の氣は

そんなものでは済まされない。