差別と偏見

アメリカのトランプがようやく本音を吐いて差別主義者の発言をした。いつ正体を現すことかと待っていたけども、トランプはついに口にした。私は在米四十三年の間にいつも黒人のような差別は受けなかったが、小さな目に見えない所では差別は、偏見はあった。東洋人に対して

日本人はまだ良い方で、特に中国人は日本人よりもっとあからさまに差別されていたと思う。師母の訓練を受けるようになって、東洋全体を見るようになって、

私の白人の差別への反抗心が強くなり、サンフランシスコのホテルリッツ・カールトンに妻と Afternoon tea をしに行く時には中国服のチャンサーという昔の長い民族服をわざと着て行くようになった。当然、扱いは悪くなる。妻は和服だ。悪い扱いをするウエイトレスには

私もさんざんダメ押しのプーハオ(不好)を浴びせてチップも置かずに帰ったこともある。白人ウェイトレスの顔は明らかに歪んでいた。東洋人には特に中国人にはサービスしたくないのだ。まるで映画の中に出てくるワンシーンのようなことはアメリカでは結構ある。私は負けなかった。時間があれば、まだまだその差別の話は尽きない。帰国前に黒人青年が白人の警官に背中を撃たれる事件後に、ある黒人と話をしている最中に私が白人を侮蔑する俗語を使ったら、東洋人の私がそんな俗語を知って、使っていることに驚いていたが、最後には大笑いをして友だちになった。七十年代のブルースリーは映画の中でコンフーで白人をやっつける,アメリカの有色人種のヒーローであった。彼のお陰で、私も七十年代、白人社会の中を大手を振って歩けたのであった。差別と偏見はどの国にもある。日本の差別偏見については別の機会に譲ろう。