競争の修行

重い話が続いたので、師母の道場でのエピソードを少し紹介する。

修行が始まって、ジャンプがスタートした時に師母は何も説明しない。ただ

基礎訓練をしてあとはジャンプである。我々はジャンプするが、誰がジャンプしても「不好」である。そして強く重いジャンプには「 good  」「 strong  」と言ってニコニコする。みんなが週一回のところを私は週七日通って、しかも一日に二回道場に通っていた。一回の練習時間は三時間半で一日七時間の訓練となる。脚は当然強く

なる。先輩と師母のやりとりをジッと見ていた私のジャンプは始めてすぐ、強く重かった。師母は私のジャンプを気にいった。と言っても、ただ褒めはしない。

どれだけの時間長くジャンプ出来るか、どれだけ負荷をかけているかをチェックする。

週一通えば月四回、週七通えば月二十八回、しかも一日二回行けば、月五十六回となる。他の道場生と比べれば、十四倍の

練習量となる。私のジャンプは私が注意して地球の重力に沿って身体がまっすぐになるように鉛筆をまっすぐに落とすように身体の重心を床に向けてチカラを抜いて全体重を乗っけて

行っていたので、他の道場生よりしなやかでずっと強く重くなる。音の響きを聴いていて、

自分でも分かる。師母はそんな私たちに競争を強いた。何遍私にみんなを競争させたかわからない。しかし、何遍やっても私にはかなわない。一人、私よりも一回り身体の大きい白人アメリカンを師母が投げていたところが、何遍やってもこの白人は理解しない。師母は呆れ果てて、お前の頭は木頭(ムートウ)だと言った。日本語では石頭と言うが、中国語では木頭と言うらしい。頭が堅い。チカラを抜くべき時に抜かないでチカラを入れる。息を吐く時に息を吐かない。私は十四倍の練習量で身体は練習に慣れて、いつの間にかリラックスすることを覚えてチカラを入れる時とリラックスする時のタイミングを覚え、師母の言うことと何を言おうとしているのか、すでに理解していた。ようやく先輩である彼らを抜いて師母が技を見せる時は私は前に出されて、私が真っ先に投げられるのであった。いつも私が他の道場生よりも多くの

強い氣を受けるのであった。時に私ばかりが道場に到着後何十分もジャンプして他の道場生はただ見るしかなかった。いつの間にか私は道場を代表する道場生になって、中国から誰か師母の友人が来ると自慢げにこんな弟子がいるのだと私を投げるのであった。蜂の八の字ダンスをご所望である。激しい強く重いジャンプの音に驚いていた。コンクリートの上にカーペットが敷かれていたが、コンクリートは私とみんなのジャンプで割れていた。二十年の修行だった。

この時までにはこの氣功の特徴は瞑想で静寂の精神と、ジャンプで強固で強く太く大きい筋肉を持つ脚を作ることであると理解していた。私の脚の筋肉は競輪の選手のように、男子バレーのダンサーのように、ジーンズを履くと太ももは大きく盛り上がり、歩く時には太ももの内側の筋肉は擦れて痛くなるのであった。