家族

家族は人間にとって、最小の単位の社会である。私にも当たり前に家族はあった。しかし、無知無学の母に育てられて母の夫である父親への失望と怒りのはけ口は一番小さな末っ子の私に向けられた。毎晩父への愚痴を寝床で聞かされて、それでも足らずに火のついたお線香を私の肌に押し付けるのであった。今で言う児童虐待である。父は私を可愛がった。それが母には我慢出来ない。父の好きな私を虐めたい。私の兄は、可愛い弟が出来て、父親と姉達の愛情が私に注がれることが我慢ならない。殺してやりたい、いなくなって欲しい。こうして私には

二人の敵が家族の中に出来た。小学校で先生に殴られて、家に帰ると意地の悪い兄のイジメと母親の理不尽な折檻が待っている。昼も夜もダブルに、一日中、私には恐怖

 

の毎日であったのを思い出す。今でも思い出すことで、最悪で最も残忍なのは、四つだったか五つの時に兄と空き地で遊んでいたら、いつの間にか頭から血が出ている、ふと頭に手をやると頭に太い五寸釘が刺さっている。後ろを見ると兄が立っていた。そのあとのことは覚えていない。記憶が消えている。

少し後で考えたら、兄がその釘を投げたとしか考えられない。小学校に入って、

兄の私に対するイジメは激化した。毎日

泣かされたことは今でも鮮明に覚えている。夜は夜で、寝床の母の愚痴教授が

待っていた。私の学校の成績が兄より良い事が兄の私に対する憎しみを増長する。兄の粗暴な性格は中学に入ると頂点に達して学校でケンカの毎日となって、

不良の仲間入りを果たす。三年遅れて学校に入る私の先生のあいつの弟だという教育者らしからぬ目と態度が、先生の警戒心と権威の保持の為の往復ビンタの始まりとなって私を襲う。訳も無く殴られる私には何がなんだかわからない。ものごとを分析できるようになって高校に入ってからは、兄の入れるレベルの高校ではないので、兄のことは学校の誰も知らない。先生とは友人のように話しした。あだ名もいっぱいつけて、マムシ、カバ、ノミキン、ターザンのオンパレードであった。カバ先生が私にカバって誰のことだと私に聞くので、先生の事ですよと言うとガッカリしていた。繊細で一本筋の通った歴史の先生であった。。蚤キンは英語の先生で高一の最初の授業で蚤のキンタマのような勉強はするなと言ったので蚤キンのあだ名となった。個性の強い、それでいて知性に

優れた高校の先生を私は気に入っていた。ちなみにあだ名の最高傑作が私の入った中学校にあった。ベンハーと言った。これはその先生の頭のてっぺんが禿げていて、弁当を食べてるときに我々からはハゲが見えるので、ベンハーとなった。冗談を言うつもりでこれを書いているのではない。兄のイジメが私に殺意があったことであるのは高校に入って、

母と兄のことを良く考えて理性的に分析できるようになって謎が解けたのである。トラウマになった心を引きずって、

大学在学中に母も亡くなり、天涯孤独になった私に日本もアメリカも違いは無かった。アメリカで一度作った家族も私を利用、コントロールしようとする女性が妻では、妻の結婚の目的が永住権取得では、結婚が

長続きする訳は無かった。トラウマは続く。女性への不信感と怒りは消えない。

私の方からわざわざあら探しして女性の非を、意地の悪さを求めてしまうのである。それを確かめようとする。jo それが許せない。女性が許せない。尤氏長寿養生功に出会ってトラウマを克服して、日本に帰国して以来、私はこの歳になって、家族家庭が欲しくなった。こんな歳でも子どもが欲しくなった。女性を愛することができるようになって、家族をもう一度作りたい。心を、愛を幸せを、

求めているのであろう。妻を愛して平和な家庭を築き、子どもに夢を与えたい。愛と幸せのエネルギーを持った、知ってしまった、私の切実な強い願いなのだ。