怖れと勇気
何か事を始めるにあたり、誰でも失敗を怖れて怖じ気づく時はある。そんな時には怖れてばかりいてはものごとの進展はない。僅かの勇気で恐る恐るスタートして結果を見る。あれほど悩んでいた事は意外に何でもなかった。と言うことはある。そこからもう少しの勇気を出して
もっと前向きに頑張る。状況はもっと開ける。
私のこの氣功修練がそうであった。
意地の悪い通訳の介在、うるさく厳しい師母、 何もかもチンプンカンプンだ。嫉妬心向き出しの先輩同輩達、とてもむづかしい技術、修行の終わりがいつなのか延々と続く訓練、絶望的と思われるこの状況は考えれば考えるほど私の中で恐怖感が増す。どんなことも同じだ。始める前は考えると怖ろしい。そんな時にはあれこれ考えないで行動して見る事である。意外に自分の誤解で考え過ぎだったという経験は誰でもあるだろう。
私は勇気を出してこの氣功を修得して、
今では大正解で私にはかけがいのない、大事な
この氣功を愛している。僅かの勇気で人生は変わる。僅かの上のもっと強い、勇気を持っていたら、その状況はどんなことになるか、予想もつかないほどの結果となるのではないだろうか。
人生は一度切りで、自分を表現する場である。後悔は誰でもしたくはない。
それならば、一時期の怖れや恥は何でも
ないと思われないだろうか?
我々は勇気を持って自分の人生を生き
切る覚悟が必要ではないか?