祈り
祈りとはどんなことなのであろうか?
現代の日本人には無縁のものであるようであるが、そんなことはない。セッパ詰まった大学合格の時、何かを切実に
願う時などには、神様!と願って祈らないだろうか?実に現金であるが、苦しい時の神頼みということが現実である。
神様は利己的なおのれのみの願いは聞き入れない。おのれを度外視した無私の
願いで神様の心に叶った願いだけ成就
してくれるのである。これはむづかしい。
大抵の願いは聞き入れない。
願って祈って、一生懸命に努力した者に
幸運は訪れる。神の名を口にして神に
祈るフリをしてカネを手に入れよう、
生活費を捻出しようなどする者には
何も起こるはずはない。後で神様からの神様をダシに使った神罰が待っている
だけである。私にとって祈りとは
瞑想である。瞑想する時は自分を忘れる。私的なものは何もない。その時に
願う、祈ることはない。それでなくとも
何時も願って祈っているから、瞑想の時は私を無くすことに専念するのである。
もう一つある。労働する時、仕事している時には神様と交信している。この時も
無心に集中しているからおのれは無い。
仕事したく無い者、労働を拒否する者は
何も達成出来ない。今まで何人も見てきた。棚からボタ餅が落ちてくるのを
何時も待っている。努力したくない。
本当に祈ったことはないだろう。
祈っても願っても叶わぬ時は自分の願いとその祈りの質を神様が気に入って無いと知るべきである。