仕事労働は神との交流である
良く仕事には貴賎が無いというが、貴賎があるのは仕事労働ではなく、人間の心である。心が卑しければ、仕事の内容まで卑しくなる。心が高貴であれば、3Kの仕事であっても仕事まで高貴なものとなる。心の卑しい者は神との交流は出来ない。ただカネを稼ぐだけの手段となってつまらない何の感動も無い時間を
過ごす無駄な時間となる。高貴な3Kの
仕事は本人が楽しくて、したくてやっているものである。心を高貴に保つ者は
仕事が3Kであっても仕事は3Kには
ならない。真面目に立派に心清く高潔にこなすその3Kの仕事は神様との交流の場となるのである。そんな心を持つ者には求め無くとも神様の方が降りて来るのだ。神様は嘘や虚言の祈りは受け取らない。愚直に真面目な真っさらな心に反応する。また私的なことで申し訳ないが、
来年タヒチに行くことが決まった。私の
長年の友人がタヒチで武術大会があるので来てくれと言われてはいたが、旅費その他の費用が無い。奇跡が起きた。私の
帰国前に売った家の管理会社から過払いした管理費が入金されたのだ。ホテルに泊まらずに友人の家に泊まれと言われていたので、旅費飛行機代だけの負担となってその渡航費の問題はいっぺんに解決したのであった。友人の父親が亡くなり、お墓参りに行きたいと常常気にかけていたので、神様がご采配下さったと
私は解釈している。神様は私の最大の
友人であり、理解者であり、アドバイザーでもある。私を何時も理解してくれて
応援してくれる。私の仕事は氣功教授で、瞑想を毎日行ない、脚がとても痛んで歩きにくい時もリュックを担いで道場に通っている。休んだ時は無い。雨の日も風の日も雪が降っても大好きな氣功を大好きな道場生に教えることは私の
本望であって生き甲斐になっている。
この仕事を愛しているのだ。もちろん
3Kの仕事ではない。リタイアしてから
フルに氣功教授のことばかり考える毎日は楽しくて嬉しくて、勝手に顔がほころんで来るのだ。ありがたくてありがたくて、何時も神様に感謝している。