人生 と命の分岐点

私の恥を晒して PTSD トラウマのことをこのブログで掲載して来たが、すっかり忘れていたもう一つのトラウマとなった原因を今ごろになって、思い出した。

ここまで書いたのでもう一つ付け加えたい。決して愚痴を言って同情を買おうとしているものではないことを断っておく。いつだったかもう忘れてしまったが

母が私に告げた。お前はほんとは生まれて来るはずではなかった、と。理由を聞いた。予期せずにできた、最後の子供なので産みたくなかった、義祖父に聞いたらせっかく出来たんだから産んどけ、と言われて産んだんだ。まるで犬か猫ではないか?すごく複雑な気持ちになって、泣くことはなかったけども心の奥底に母に対して恨みと不信感が芽生えた。だから、

毎日のように私の肌に火のついた線香を押し付けられて父親の愚痴を毎晩聞かせられて兄を私より可愛いがったかと

謎が解けたのであった。私の女性への不信感と恨みは、今思えばこの時植えつけられたのだと。こんな大事なことをなぜ忘れていたのだろう?私が胎児の時に堕ろされていたならば、私のこの人生はなかった。なぜ私はこんなにも艱難辛苦を

与えられてしまうのであろうと何時も

思ったのは、 私は本来生まれなかった。私の人生は無かった。ので、一から百までの困難を

経験してお前の人生を切り拓け、ということであったか。小さい頃からの貧困とイジメに母の児童虐待もこんなことで

将来の艱難辛苦に立ち向かえる準備をさせられていたので、日本アメリカと場所は変わっても耐えられるように武術武道で身体を鍛えて死なずに日本に帰って来れるように神様に全て帳尻が合うように場面場面に出会う人も采配していただいていたのだな、と思わざるを得ない。

私は今氣功を教授して無上の喜びと幸せを感じている。そんな人生を与えられた私は、私の人生を賛美せずにはいられない。人生に喜びや幸せを感じない人もいる。

そんな中で私はこんなにも生きていることを喜び、幸せを感じている。このことを思う時、あの時に祖父が産んでおけと言わなかったら、母が産もうと決断しなかったら、今の私は無い。

命が無かったら私の人生も無い。

命を得た後は、自分の人生である。

辛くても、それは母の責任ではない。

辛く感じるのも感じないのも自分の心次第、自分の感覚次第である。

私は今では、生まれて来て良かった。

母が私の母で良かった。祖父にも感謝している。人生の分岐点においては、

もし、師母に出会っていなかったら、

今の私は無い。それを思えば、師母にも感謝しなければならない。日本人を憎む中国人の先生が日本人に  決して教えることはなかった技術、伝統の技を私に惜しげもなく手を取り足を取って教えてくれた師母に足を向けて寝ることはできない。私のひたむきで真摯な態度を、私が特別に早く上手くなって行くことを、師母は認めてくれ

たのであった。

親を恨むことは易しい。責任を転嫁することは易しい。与えられた人生を大事に

雄々しく生きて喜びと幸せを掴む。

自分の人生は自分のものだ。

幸せになるもならないも自分の責任である。親の責任ではない。いろいろな

さまざまな人生があって、さまざまな人生の分岐点がある。ほんの少しの、僅かの勇気を出して人生に立ち向かえば、必ず良い

結果は出る。間違えば、また立ち上がれば

いい。人生七転び八起きと覚悟すれば、八回立ち上がって良いのだ。

私の人生はまだ終わってはいない。

私の日本での人生はこれからである。