逃げの人生
何時も私のことを例に出して良い気になっていると思われることは私の本意ではない。ただ、私はどんな局面でも逃げなかった。一生懸命に歯をくいしばって
私のやれることは全てして、その後に
天命を待つ心境であった。
あの尤氏意拳の姜吉隆を見よ。
現実の自分の置かれている状況を直視出来ずに逃げている。逃げてばかりいる
者が一派を立てて宗家創始総師範と自称しているのである。巻き上げたカネと私の名を使って作った借金の返済を拒んで、今も逃げ回っている。自分の置かれている状況を直視出来ずに逃げる者は
何も達成出来ない。ましてや団体を作っても、その団体のトップには立てない。そんな逃げの人生を送っている者が一体
人生の何を教えるのであろうか?ホンモノではない。ニセモノだ。
勇気と幸せを説く者が何の勇気を、何の幸せを、教えるのであろうか?私はどんなことにも逃げなかった。意拳の教えの通り、前に出た。
絶対絶命と思われる時、経済的に立ちゆかなかった時、左膝を大怪我して左手首を大骨折して、右腕一本で妻の介護と家業の治療と家の家事をこなした時も弱音を吐かず、
愚痴も言わない。逃げることはなかった。真っ正面から立ち向かった。
それらのことを切り抜けた時の達成感を
言葉にすることは難しい。人生の醍醐味である。このような経験があって、私
の道場生に道を説くことができるのである。逃げの者は人生を説く資格は無い。
即刻団体を解散して返すべきカネを返して真面目に嘘つかずに働くべきである。
自分のサイズの人生を歩むことである。
自分の分を知って大きな見栄を切らずに
嘘をこかずに自分の真の心のサイズの人生を歩むことである。逃げてばかりいると真に逃げる時に逃げられなくなる。
逃げるともっと惨めで、もっと辛くなる。辛いから逃げるのではない、逃げるから辛くなるのである。逃げないで、
ホンモノになれ!