秋本番

急に冷えるようになって、本格的な秋が来た。湿度は低く風は心地よい。

自転車に乗って受ける風は暑く無く寒くも無い。サンフランシスコの気候である。あちらは年がら年中こんな気候で

着る服も二、三日洗わなくても、まだ着ることができる。日本人からすると、大分汚なく感じるが、Y シャツももう一日

着ることができる。私のような無精な人間には好都合だ。氣功の修練をしていた時にはそうはいかない。頭のてっぺんから足の先まで、汗でビッショリ濡れて、

シャワーは一日三回洗濯は毎日日課であった。洗濯は自分でする時間は無い。ベトナム人の洗濯屋に Wash&Fold に頼むと洗って畳んでくれる。訓練の後は

中華料理の飲茶であった。私の身体は筋肉は中華料理で作ったようなものである。サンフランシスコの中華料理は

どこで食べても当たりハズレは無い。

当時中華料理は安かった。飲茶は一皿

二、三ドルで財布の中の小銭で十分お腹はいっぱいになった。お茶は飲まない。

白湯を飲む。ウエーターがビックリしてAre you sure? と聞き直す。お酒やコーヒー、ウーロン茶ですら飲まなかったので、身体は健康になった。顔は若々しく、肌は赤ん坊のようにスベスベツルツルであった。当時を思い出すと

あんなに辛かった訓練が修行が懐かしく思える。当時無我夢中でさまざまな感情が渦巻いて不安と絶望の心は今希望の心でいっぱいになっている。人間はその時々で不安になり、絶望的に思えることもその時懸命に全力を尽くしていれば、

後になって振り返るとなんでも無かったことに心は患わされていたことに気づく。私も当時絶望的だった状況は今の希望に繋がることであったと思う。

人間の努力精進を神様は見捨てることはない。必ず報われる。逃げて仕舞えばそれまでだ。先はない。逃げずに困難辛苦に立ち向かえば、希望や安心が生まれる。私は師母を信じてイジメにも負けず差別偏見にも負けないで自分の信念を通した。氣が、心が楽に落ち着く時は

必ず来る。一度掴んだ良縁を離さず辛いことがあっても、信じて任せることが大事だ。少なくとも私はそのようにして、

今第二の人生を歩んでいる。大本教の出口聖師の短歌、

艱難の大なる後は幸せの大輪の花

が咲く

私は身を以って実感している。