継承

昨日も面白い番組があって、銀閣寺の障子をドイツの建具職人が検証するものである。骨組みを地獄組といって室町時代の技法が今に伝えられている。一本の木の棒を何本も違い違いに組んで障子が歪まぬよう、壊れぬように組んでから紙を張る。ドイツの職人はどのように組むのか気になる、でも分からない。ついに伝統の技術を受け継ぐ日本の建具職人が登場してその伝統の技を見せる。ドイツ人もビックリというものだった。コロンブスの卵のようなもので、一回見せてもらえばドイツ人でも作れるとドイツ人は思ったかもしれないが、私は作れないと考えている。私も一時期、師母から習った勁空勁を私なりに変えてどんな人間でも出来るようにした技を教えてほんのわずかで、鼻くそのような赤ん坊の技を

伝統の技術と思い込んでしまったバカな

オトコがいる。あの尤氏意拳の宗家創始総師範の神田真澄こと神田吉隆こと姜

吉隆である。人物をジッと見つめて

どんな人間か見極めてから伝統の秘技を教えるつもりであったから、そう簡単には教えられない。その前に私自身の技が

拙かった。今やっと私の技は円熟味が

増して、誠の花と言われるようなレベルに達している。その前に姜吉隆は隠し持っていた爪と牙を剥き出して我欲を抑え切れずに高級車高級靴、モデルのオンナ

やりたい放題の悪魔の姿を見せて、道場ののっとりが上手くいかない、私に知られて自分で別派を立てて宗家創始総師範とは名乗ってはいるが、何せ中身が無い。朝鮮人は我慢出来ない、なんでもスグに独立したがって、真似をしてニセモノを作ると聞いてはいたが、まさか一時期信頼していた人物に裏切られるとは

思いもしなかった。オトコ、オトコ、

オトコには二は無いとか自分の肥料を売るセールスマンの上司から習った言葉が常句であった。まさにジョークである。

継承するとは、そんなチャラチャラした

どんなアホでも出来ることではない。

血の滲むような努力と精進の結果

生まれるものなのだ。嘘をついてカネを

くすねて供出させたカネで贅沢して、

モデルのオンナを物色する人間には

似合わないものである。ましてや私の名前を使い、作った借金を返済もせずに

踏み倒そうとしているオトコには継承

などとはとんでもない。世の中を甘く

見た。よほど自分に自信があるのか、

欲しがるものが自分の分を超えている。

身のほどを知らない。あれほど欲しがった継承は指導員に引き継がれて、ついに、千葉で独立した指導員が現れた。

私は喜んでいる。これからも新指導員を

増やして日本全国にバラ撒きたい。

来年には、私の体調を見て関西支部

私自身が出向いて創設の予定である。

神田真澄こと神田吉隆こと姜吉隆の

包囲網は狭められて行く。真に継承した者と見せかけの継承を装う者との

違いである。