追憶

最近グッと冷えて気候はさらに秋を

深めている。まさにSan Francisco  である。その土地は年中秋の気候で、当時

二台の車を持って、氣功の修練に励んでいた。一台は日本のトラックを改造したキャンピングカーであった。

このキャンピングカーに乗って、私は

良く私の息子と二人で海に、山に

出かけた。車を海の見える海岸に止めて

翌朝まで車内で寝たものである。息子は当時五、六歳で可愛い盛りだった。

冬はスキーに出かけた。冬の山道は

危険なので一人で出かけた。ゴンドラの真横に車を止めて車内で宿泊して、

翌朝早くから夕方まで一日中滑るが、

筋肉痛は不思議に起きない。帰宅する前にホテルに入り、安い料金でジャクージー風呂に入って身体を温める。そのホテルはギャンブル場になっていて良く私の

運を試した。大抵の場合私は勝った。

その日のゴンドラ代、リフト代は

ギャンブルで稼いだ。他の人からは

不謹慎に見えるかも知れないが、何せ

、お金がいつもショートしている。堕落したアルバイトではあった。この頃は

私が日系アメリカ人の患者さんの家の一部屋を無料で貸してもらい、住んでいた。無論、私が貸してくれと言った訳では無い。私が治療院を畳んだ後、私の氣功修練する姿を気に入って、同じ町に住むこの患者さんが家の一部屋を提供してくれたのであった。サンフランシスコ

近辺の家賃は決して安く無い。節約出来たお金を氣功の授業料に回すことが出来たのであった。私の妻を紹介してスグに

この方は亡くなった。このようにさまざまな方の情に私は支えられた。

この方がご存命なら、今でも国際電話で毎月のように話しをしているはずである。私には師母の他にもう一人のアメリカの母がいた。