私が大阪堺に道場を開いていた時に

こんなとんでもない道場生がいた。

呼吸法の人間で、飛ばし方を俺に教えてくれ。何故ですか?と聞くと、呼吸法の人間に俺をバカにする奴がいて、そいつを吹っ飛ばしてやりたいからです。復讐してやりたい。と本当にバカなことを口にする。協力は出来ない、そんなことに

心を向ける時間があるならもっと修練するようにと言って、その場を離れた。

目的と手段を間違っている。本来、氣を訓練する者は健康増進を目的にして、

跳んだり跳ねたりすることは手段であるはずなのに、飛ばす飛ばされることを

競争のように捉えてあっちが強い、こっちが弱い、と比較する。どんな心で今迄

訓練して来たのだろうと、心の修行は一切していない団体であると大変情け無く

思ったのである。いつも言うあの尤氏

意拳の神田真澄こと神田吉隆こと姜吉隆も私に

テレビに出るから飛ばし方を教えてくれと言って、結局はそれをカネ儲けの

手段に使ったのであった。他にも同様の者がいた。私を利用しようとする者は多い。それこそ心無い者がおのれの

利己的な心を満足させる為に尤氏長寿養生功のワザを出汁にする。そんな輩は

たちまち、地獄行きである。心が地獄であるからだ。この尤氏長寿養生功

三十年ほど訓練して気づいたのは、

筋力を養成して技を完成することの意味は心の完成を目指していることであると思うようになった。心の未熟な者、心が塞がっている者、心の捻じ曲がった者、

さまざまな人間が出入りして、今、やっと私を頂点にして指導員一般道場生の

序列が出来上がり、訓練もシステム化

されて形が整って来ている。心の中は

見えない。宇宙の見えないエネルギーが

大きく影響して宇宙を形作る。科学は

以前目に見えるものと計測可能な物を

対象にしていたが、現在の科学は

目に見えないエネルギーを対象にして

最先端の研究がされているのである。

氣功も何千年も前から目に見えないエネルギー、氣を探究して今に至っている。

目に見えないエネルギーはとてつもない

エネルギー、可能性を持つから、

見えない心を調御して仮にも復讐するとかカネ儲けとか自己の利己心を満足させるとかバカな方向に心を向けるべきで無いことは明白である。瞑想すると心は

純粋で素直になる。心、心、全て心が

大事である。心のエネルギーが形あるものを形作っていく。神道大本教では

このことを霊主体従と言って、精神と心

が先に、体と物はその後に来るものとしている。例えば、家を建てる前に頭の中に

思い描く家の形があって、その後にものとしての家が建つとしている。

全て心が先に来る。心の無い者には

形も無い。心の無い者にはカネも集まらない。集まるものはゴミのようなものしか集まらない。心がゴミだからだ。

全て心である。