その場に花を咲かす

私が帰国して三年が経ち、妻の三回忌を迎える。ボロボロの身体で運営して来た尤氏長寿養生功は少しづつではあるが、進展を見せて、千葉に支部を開設した。

また、海外との交流もあるようになった。私のアメリカでの半生を振り返る

時が増えている。両親を若くして亡くした私が日本を離れたことは私の中では

正当な理由があったと思っていたけども、故郷を離れて何か成し遂げようとしたことは本当に良かったのであろうかと思うようになった。私の叔父は九十九で他界したのであるが、地元を離れたことは一度もない。仙台の街を自転車で

用事や買い物をこなし、最晩年には

娘婿が勤めた森林局で集めた伐採された、不要の檜の木材で建てた家に住んでいた。

別に東京アメリカに行かなくても、

生活は出来る。田舎の仙台に根を張り、

長い年月をそこで過ごして平和で安心の

人生を送る。若い時は日本軍の写真班で中国に送られて日本に戻り、神戸に少しの間住んだと言っていた。仙台より都会でどうでした?良かったですか?と聞いたが、つまらないねと言った。私は仙台の豊かな自然が気に入っている。山と海がすぐそばだ。四季折々の食べ物は

美味しく、源泉掛け流しの温泉はたくさんあって、近くにある。極楽だ。楽園である。今になって気づくのがなぜこんな素晴らしい土地を捨て、離れてしまったのだろうと思う。若い時は経験が少なく、愚かで激情的だ。理性が足りない。感情に走り、外に目が向く。そうではあるが、日本に帰国するまでは、今の自分を形成する経験体験が必要だった。人生には何も無駄なことはない。東京に行かなければアメリカにも行けない、アメリカはサンフランシスコ近辺に住んでなければ尤氏長寿養生功には出会っていない。

そう考えると、全ての点が一つの線で結ばれて、今に至る。そう考えると、仙台を離れて良かったということになるが、

あちこち世界を見て故郷の良さが分かるということもある。外で花を咲かせて見たいと思うのも人生で、地元に残り、その場で花を咲かすのも立派な人生である。どちらが良いかではなく、一生懸命に生きたかどうかが問題だ。私なら

仙台でも一生懸命に生きて自分の人生を構築したと思うが、今咲いている花に満足して、これより先にもっと大きな

花を咲かすのである。最近、日本の若者が故郷を離れて東京を目指すが、故郷に残っても大きな花を咲かすこともできる。要は、自分の夢を実現する心を持ち続けて努力精進すること、そして少年のように純粋な心を一本の槍のように

突き出して夢実現の為の苦労を厭わぬことではないか?私の叔父は故郷に住みながら、私の愚かさをジッと見ていたに違いない。最後は孫玄孫まで自分の膝の上に乗せてタダで集めたヒノキで作った自分の家に住んでその場に大きな花を咲かせたのであった。大往生であった。

私は彼の孫にいつも言っていた。

おじいちゃんはまるで智慧のある

フクロウのような人であったと。

今は叔父の玄孫(やしゃご)に同じことを言わねばならない。