使命

論語に五十にして天命を知るとある、人間は五十を過ぎると天命を知ると言う。私は五十の時には、アメリカに戻り、師母との訓練に精を出していた。

その時は天命を知ってはいなかったが、

今、日本に戻り、私は私の天命、使命をやっと知ったのである。この世にも稀な

氣功は、私がもっとも得意とするもので、私がもっとも誇りに思うものである。そして私が集まる道場生に影響を与えることができると。

これこそが、私の天命であり、使命であると自覚した。私は最近、寝ずに瞑想

訓練をする。寝ることが勿体無い。

だから、テレビを見る時は寝てしまうこともある。そう言えば、師母も私が車で送り迎えする時はコックリコックリ

寝ていたのを思い出す。もしかすると、師母も寝ずに瞑想していたかもしれない。ドクター尤が寝ずに瞑想していたことは聞いて知っている。ドクター尤ならば、当然のようにしてのけるであろう。

チベット密教の活仏が夜、寝ずに瞑想するからチベット密教に帰依するドクター尤、師母も

寝ずに瞑想していたに違いない。

私はラッキーだ。こんなに稀で、世界で最高の武術氣功を直接三十年もマンツーマンで、日本人の私が習うことが出来た。名誉なことである。しかも、私は

師母の道場生の中で一番可愛いがられた。写真を撮る時も、師母はだれかれに

肩を抱かせることなどはしない。しかし、私は構わずに師母の肩を抱いて写真

を撮った。師母も気にはしなかった。

信頼関係があったからだ。不思議な感じがする。最初の頃は口もきかずに私を見ると不機嫌そうであった。まさか私が

師母の肩を抱いて写真を撮るとは、、、。

師母亡き後、日本にこの氣功を伝える者は、私一人しかいない。とすれば、この

氣功、尤氏長寿養生功を日本に伝え、

広めることこそが私の天命、使命である。私の命尽きる時まで、一心不乱に

突き進むしかない。私が二回も命に関わる病気をくぐり抜けて助けられた事実は

私の使命がまだ残されている、何をやってるんだ、こんなことで倒れているヒマなどない!と、

先人と私の亡くなった妻が、私の耳元で

叫んでいたのであろう。もうこれで良いと言われるまで使命を果たす覚悟である。