強さと弱さ
強いとは、弱いとは、何を言うのであろう?
私は母親の折檻を受けて、火のついた
線香を肌に押し付けられて、そして、兄のイジメにあって、心も身体も弱かった。ケンカをすれば、誰にでも負けた。
しかし、ある日に食事を兄と一緒にしていた時にいつものように私にちょっかいを出してイジメが始まった。積年の
恨みと怒りがついに爆発して持っていた
箸を逆手に持ち、兄の太ももに突き刺した。私の心は氷のように冷たく、無表情であった。
あの兄が泣いている。余程痛かったらしい。ますますイジメが増大する。
高校に入学してスグに、応援団の上級生が、胸倉を掴んで押して来て威圧した時に腰と上半身をひねって、その勢いを
地面に向けたら、どっスーンと地面に
倒れていた。私は以前に肺結核を患っていた
ので、柔道はした事はない。
これをきっかけに本格的に武術武道を習い、もっと強くなりたいと思ったのだ。
でも心と身体は相変わらず弱かった。
強そうに見える者が本当に強いかというとそうではなくて、実は弱かったと
気づいたのは大学に入って少林寺拳法を習って、ある日空手部の人間が急に
何を思ったか、私に襲いかかって来た時に咄嗟に躱していつものボクシングのようなジャブの突きを入れたら、まともに顔面に当たった。私より強そうに振る舞っていた男は弱かった。武術武道を長年すると、強さを求める人間は実は弱く、
私のように身体、心の弱い者、弱かった者は健康になろうとして、長年訓練すると技術が進み無駄なチカラは抜けて、
強くなるのでなく、上手くなる。
現在の私は強いとは思っていない。
武術武道の技術を良く知ってこなすことは他の人より年数をかけただけ出来ると
思っているのである。女性が母親になると急に強くなると言われているが、母親が赤ちゃんの為にゴキブリやネズミを追い回すように
人間は必要になると前には弱かったのが、一変して強くなる。ケンカや試合に勝つことが強いと言うことではない。人生の中で
あらゆる場面で強さが必要な時に強く
なれる人間が強い人間であると
思ったのは、この尤氏長寿養生功を
知った後であった。自分は弱いと思う者は実は強いのだ。自分は強いと思っている者は実は弱かった。
チャンピオンになった者は、勝ち上がって来て挑戦されると思う時に不安で不安でしょうがない。身体が震える時もある。爪を噛むオトコもいる。
強さを求めて武術武道を目指すことは
本当に強くなる手段となるのであろうか?何の為に強くなるのかということが
もっと大事なことではないか?
いつも言う尤氏意拳の連中は何の為に
尤氏意拳を訓練しているのであろう?
まさか試合に勝つ為に、ケンカに強くなる為に、と言うのじゃないだろうな。
だとしたら、よっぽど弱いかよっぽど
バカでアホウだ。