艱難

時折、困難艱難について触れているのだが、幸せに至るまでに楽に到達できるとは限らない。さまざまな困難艱難が人

それぞれに襲うであろうが、逃げてはいけない。逃げないで、艱難に立ち向かい、その中で苦しみながらも戦うべきである。その苦しみ自体に意味がある。

その中から学ぶべきことがある。得るものがあるのである。人生を生きる意味を

理解する手段となる。人生を楽に生きたいというのは誰しもそうであろうが、

艱難から逃げては、あろうことか、カネが欲しくて嘘までついて人を騙してまでもカネを奪うように取って、借りて、

返済しない。こんなことでは、幸せになることなどは出来はしない。己れ一人の

快楽、幸せのみを考える者は一人勝ちを

望む者は幸せにはなれない。人生の底を見ることになる。自分が他人の幸せを願い、回りの友人を大切にして、自分の

出来る範囲で自分を信頼する人を助けて幸せになってもらう。そんなように行動出来る者は限りなく、幸せになれると

私は思う。また引用させてもらうが、

艱難の大なる後は幸せの大輪の

花が咲く。大本教出口王仁三郎聖師の

短歌である。私の大好きな歌である。