師
人生において良い師を持つことは難しい。特に日本の武術武道団体はその構成人数があまりに多く、玉石混交として、教えを乞う師が石なのか玉なのか長い年月をかけなければ分からない。その
習っている武術武道がホンモノであるかどうかも分からない。
私は日本の武道にあらゆる面で失望して
次なる武術の師を求めて彷徨った。
そして尤氏長寿養生功の欧陽敏師母との出会いは衝撃的なものであった。
私の中国医学の知り合いがサンフランシスコに面白い中国人老女がいて、大きい白人アメリカンや中国人を触らないで
投げ飛ばすという。大変な興味を持った
私はすぐさま見学に行き、入門を願ったが、私が日本人という理由ですぐには
許可は下りなかった。前にも言った
嫌味な中国人女子が意地の悪い目つきとバカにした態度で私を迎える。まるで
自分が師母のような素振りである。
間も無くとてつもない武術の継承者で
あることが分かった。中国武術の中でも、最強と言われ、大成した拳法、大成拳と呼ばれた武術と分かり、私はついに
私の求める師に出会ったという感慨を
持ったのである。奇跡である。求めているといつかはこうして出会えるのである。氣だけに特化した氣功武術と言うので東洋医学の源である氣、武術の究極にある氣を学べるということ、しかも
中国最強の武術を学べるということで
私は狂喜した。その他にもチベット密教の瞑想と融合したメソッドがあり、仏教
哲学を内包していることも私の興味をそそったのであった。このような稀に見る
師匠に出会えることは日本人、私にとって、まず考えられないことである。
出会うこと自体が、しかも私の住んでいる土地に師母が住んで教えていたことが、奇跡であった。
師は人生の中で羅針盤のような存在であり、時には実の親よりも大事で尊敬する
存在である。特に私は両親にも失望しており、師母は次第に私の本当の母親の
ような存在になっていった。私が訓練中、さまざまな障害にあって小旅行をして休みを取った時も師母が電話をかけて来る。明日から練習に来いと言う。そんな時は
気にかけてくれてるんだな、と内心嬉しかった。そして、早く練習に戻ろうと
思ったのであった。だんだんと訓練は
私の生き甲斐となって私の人生には
無くてはならないものとなっていく。
師母が亡くなった時には、あの不死身の
ような師母が遂に、本当の別れの日は来た。涙が流れて止まらない。私の親の時はこんなにも泣いただろうか?他の
道場生は泣いてはいない。私だけが
泣きぬれて何度も何度もハンカチで
目を拭うのであった。文化的な違いであったろうか。それだけでは無かったと思う。私にとっては、師母は既に私の
母親だったのである。親の死を悲しむのは当たり前である。こんな体験をした
私は幸せ者であったと思う。師は人生の
意味を考えさせてくれる。私という人間の
価値を高めてくれる存在なのだ。
体験してみるとわかる。師を持つと言うことは乾ききった人生の中でのオアシスのようなものだ。この師の下では安心して学べることが分かった時は、どんなに歳をとっても、師と呼べる人がいるだけで、我々の人生は豊かになるのである。
私は未だ師母の年齢には至ってないが、
この氣功を教授するようになって、
果たして、私が師と呼ばれる存在で、実力と尊敬を持つ師になっているのかどうかは
分からない。しかし、私にはドクター尤老師と師母がいる。いつかはドクター尤や師母のようになってみたいという願望と
目標は持っている。ドクター尤と師母は、
私にとって、まだ亡くなってはいない。
良き師は持つべきもの、探すべきものである。