人間の一生を振り返るとどうしても縁ということを考えざるを得ない。

私が故郷を離れることを子どもの頃からいつも思っていたこと、私の父親

少しではあったけど、英語が話せて、アメリカ人の兵隊と交流があったこと、

中学に入って英語の成績が良く、英語を好きだったこと、などの理由で英語の特化した大学を目指したことがアメリカに行く結果となる。もちろん大好きだった武道を大学時代に夢中で取り組んだことも大いに関係する。全てのことが私が

尤氏長寿養生功と出会う因果の因に

なっている。出会いが次の出会いを生み、そこからの流れが出来ていく。

これらは表向きの縁だが、目に見えない

縁もあるだろう。不思議な巡り合わせで人生の場面場面で縁の力が働いて、新しく流れが出来上がる。少林寺拳法を初めて練習した時もそうだが、尤氏長寿養生功の時も不思議にずっと前にやっていたようなデジャブーとでも言おうか、うすら覚えていた感覚があった。もしかして前世でもやっていたかもしれないという感覚であった。縁である。不思議な、

不思議な因果、縁である。なぜ今、自分がこんなことをしているということを

考えると良く分からない。でも考えると

場面場面で出会った人間は私に縁が

あったとしか思えない。縁を蹴飛ばすようなマネして去っていく者もいるが、

私はなるべくその縁を大事にして来て

今の私がある。縁は不思議なものだが、

切ってはいけないものでもあった。