志
若い頃、精神が清く自分にお金があまり無い時には、貧しくとも理想の姿を求めて奔走するが、社会に出て荒波に揉まれて自分の生活にお金が必要になると
理想や志はどうでも良くなり、現実的になることは当たり前のようである。しかし、他人がそうしているからと言って、
自分もそうなって当然に思う必要はない。理想や志を持ち続けることも可能である。自分が大好きなこと、ものを
若い頃からずっとして社会人になっても
老年になっても志を突き通して自分の理想とするものを構築することは貴重で
幸せなことである。例え、貧しくとも
志を高くカネの誘惑に負けず、若い頃思い描いた理想の姿を追い求める。
この人生はその人を純粋にして、若くする。逆に理想と志を捨て去り、カネを
追い求めて社会の塵に汚れてしまうと
あれほど純粋だった心は汚れて顔もうす汚れて顔も身体も醜くなってしまう。
現実と理想を天秤にかけて、どうしても
現実のウエイトが大きくなるのであろう。いつも僭越だが、私のケースを言おう。大学の時に武道に出会いがあり、
子どもの頃から憧れて自分の心身共に
鍛えたいと思っていたので大学が全共闘の活動の為閉鎖されていた為に何もする事もない私には武道を練習するには好都合なことであった。結果アメリカに行くことになり、単身カリフォルニアの
学生の町バークレーに行って武道の教授は始まった。学生の町だから月謝は
たくさん取れない。当然貧乏生活となる。そんな時は余計に精神は強く純粋になって行動にも日本人であることを意識して大和魂を胸に恥な行為はしないように気をつけた。昇級試験の料金には手をつけずに全て本部に送った。周りがほとんど学生で貧乏は気にならなかった。
少しづつでも生徒は増えてきたが、月謝は高くは出来ない。
学生気分が抜けない。ある日日本から来た男と話をしてもビジネスの話はあまりに生々しく、カネを儲けることしか頭に無くて、すごく汚ない感じがした。
永住権目当てに結婚を申し込まれて不覚にも結婚してからはそんな
学生気分には慣れない。仕事が必要だ。
日系の食品会社のセールスマンになって
やっと生活は落ち着き武道の指導と生活の両立は可能となったがもっと技の向上を目指して本部に行くことになることになった。拳法の創立者が死亡したことも
日本の本部行きに拍車をかけた。生活の安定を捨てて日本に行くことはもちろん
カネのことしか頭にない妻には反対された。日本の本部ではさまざまな先生と
直の交流があって、私の武道への好奇心は満足した。本部での生活は今までと違い、武道を指導する側の実体がまざまざと見てしまうことになる。私の仕事の成果は
上司に横取りされて、私の直情的な進言は無視されて、雑でバカな、親玉に取り付く海外の人間の一方的な意見ばかり取り入れる不条理な武道本部に失望して
アメリカに戻るのは当然なことだった。
次の仕事もないままにアメリカに戻った私にまた経済的な負担が肩にのしかかって、武道との両立を図るが、上手くいかずに妻との折り合いがますます悪くなってとうとう離婚となった。私の武道への想いと妻のカネへの想いが対立したのだった。子どもを小さな頃からカネの儲かる
歌手や医者にしようとヤッキになる姿には女性の魅力は何もないように見えた。
あまりの理想と現実の違いであったろうか。日本で出会った先生から教わった
東洋医学に傾倒していた私は本格的に
東洋医学を目指すようになった。鍼灸学校に入学した私は若い頃以上に一心不乱に勉強した。試験に合格した私は韓国の武術にまで理想の武道を求めたが、ついに尤氏長寿養生功と出会う。理想の師を見つけた私は全身全霊で修練した。
師母は私の期待を裏切らず、私は師母の期待に応えた。私の志はこの歳になって、ようやく実を結んだのである。
尤氏長寿養生功は瞑想主体の氣功では
あるが、内容は完全無欠の最強の中国武術である。以前の恥なカネとモデルコンプレックスの師範を破門した今、私は
今、理想の武術団体運営を指導員と共に目指している。これだけの右往曲折があった私は今この上ない喜びと幸せを感じている。
志と理想は一生涯持つべきもので、
諦めてはいけないものであった。