人生

人の一生は命が尽きるまでは、何が起こるか誰も分からない。浮き沈みがあって、人間万事塞翁が馬のことわざ通りである。運命は幼少時に何不自由無く

育っても晩年に尾羽うちからしてあばら家に住む者もいるし、幼少期は鉛筆一本買って貰えない者は大変な金を稼いで、

立派な豪華な家に住む者もいる。だから

人生は面白い。私は極貧無学の家に生まれてその家が嫌で学問と自由を求めて東京に飛び出した。ひょんなことでアメリカに行って、少ししたら、日本に帰るつもりが、四十三年もの間アメリカに

在住してしまった。その間さまざまなことを経験して、今、日本に戻ってきている。アメリカは私にとっては勉強する国、勉強させてもらえる国であった。

思えば、英語の本当に使える英会話、

さまざまな世界の国々へ行って、経験した国際性、アメリカ人の気質と中国人の

考え方と付き合う術、そして一番重要で、

私の人生に大きく影響を与えた尤氏長寿養生功の習得である。私の指導員たちは、みんなが私を慕ってくれて、大事に扱ってくれる。そして道場生もまた、

私に優しく接して、私の人生において、無くてはならない人間達である。私が彼らにできることはこの氣功教授しかない。綿々と続く氣とワザを、私が死にものぐるいで習得した全てを手渡して

私の役目を終えるのである。残す金など何もないが、私が持っているものと言えば私の心とこの氣功しかない。全財産である。しかし、何も惨めな気持ちはない。むしろ、サッパリしていて、感じる気持ちは広大でどこまでも続く宇宙の

広がりのようで、そして、誰とでも友人になれる氣がしている。昨日も道場として使っている施設の掃除のおばさんと

久しぶりに会って、昔からの知り合いのように挨拶してお互い気持ちの良い心地で別れた。顔に笑みが溢れて、私の脚のことを心配してくれる。この方も私の財産になっている。周りの人たちの全てを

このような関係にしたら、人生は

素晴らしいものとなるだろう。

人生はカネが全てではない。人間の気持ちを重んじて自分の周りの人たちと

仲良く、いつも言う共存共栄共生の哲学を持って接することが人生ではないかと

日本に帰国した今、毎日考えているので  ある。